母の髪の毛不要論

「就寝時、果たして母親の髪の毛は本当に必要なのでしょうか? いえ、そうではないのかもしれません!」
有馬ゆえ 2022.04.29
誰でも
photo:yue arima

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こんにちは。

少し前に「自分で名を呼ぶ」という恥ずかし話をしましたが、なんと身近な人から「私も同じ族です」という告白を受けました。仲間がいてうれしい! ためらったけど書いてよかった!  

さて今回は「母の髪の毛不要論」です。6年ものあいだ引っ張られ続けている私の髪の毛、そろそろいらなくなるらしい。

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「お母さんの髪の毛がないと眠れない」

1歳にも満たない頃から、子どもがそう主張するようになった。言葉が話せなくても、その意思は伝わってきた。

私の胸にうつぶせになっていたときも、私の頭に頭をくっつけて枕元に横向きになっていたときも、おとなしくふとんに収まった姿勢のまま眠るようになってからも、子どもは私の髪の毛を触っていないと寝付くことができなかった。祖父母の家に泊まりに行った子どもから「お母さんの髪の毛がないと眠れない」と電話がかかってきて、夫婦で迎えに行ったこともある。

「触る」といっても、乳幼児のそれは、指先で優しくなでるようなやり方ではない。力の加減ができないため、小さな手のひらに15本ほどの髪の毛を束ねて握り、ぎゅうぎゅうと引っ張るのだ。これが、まあ痛い。そのため私は、毎晩毎晩、眠りかけてはピリッとした頭皮の痛みで現実に引き戻されるのだった。

心底つらかったのが、まだ子どもがうまく入眠できない2、3歳のときだった。すっと眠りに就くなんてまれで、毎日ゆうに30分は髪を引っ張られ続ける。いったいいつ終わるのか、いつ解放されるのかと毎晩泣きたかった。

家族3人で布団に入って電気を消し、髪の毛を引っ張られながら、うとうと子どもが眠り出す。続いて聞こえる、夫ののんきないびき。痛い。「お前はいいよな!」と心で毒づき、孤独でかなしくなった。

どこからか、「母親こそが子どもの寝かしつけにふさわしいと決まっているのです」と謎の声が聞こえてくる。世の中では父親も子育てするのは当たり前だと言われはじめているのに、道理がそれを許してくれない、という気がしていた。

母親の髪の毛を触りながら寝る子どもは、一定数いるらしい。近所のママ友は、彼女自身が髪の毛引っ張る派の子どもだったそうで、いらだった母親が持ってきたウィッグを投げつけてきて、それを投げ返した、と話していた。眠るときに母親の胸をまさぐる派閥、指しゃぶりをする派閥の子たちもいると聞く。

子どもにとって母親の髪の毛を触ることは、一種の「移行対象」なのだろう。移行対象とは、イギリスの小児科医、精神分析家のウィニコットが提唱した概念で、子どもが不安に陥った際に安心するための物や行為のことだ。例えば、スヌーピーに出てくるライナスの毛布や、子どもが常に持ち歩いているぬいぐるみ、よく歌っている鼻歌。

乳幼児期の子どもは、母親から離れていく過程で、誰しもがそれを持つのだという。つまり移行対象を持とうとすることは、母親がそばにいなくても、がんばって現実世界で生きていこうとしている証だ。

子どもは眠るのが不安なのだ。そりゃあそうだ。自分から目をつむって、目の前の世界を終わらせなければいけないのだもの。

わかる。だから、私はいつも引き裂かれている。子どもためにできることをしたい私と、自分を大切にしたい私に。

ネット上で「子どもが寝るときに髪を引っ張るのをやめさせたい。今やめさせていいのか、どうしたら子どもの精神面に影響が出ないのか」とある母親が相談し、「つらいですよね! うちでは……」とパイセンの母親が回答する(そしてベストアンサーに選ばれる)という涙ぐましい光景が見られるのは、同じように引き裂かれている母親がいる証拠なのだろう。彼女たちの影には、「そんなことを身近な人に話して『母親なのに』とひんしゅくを買ったらどうしよう」と悩むたくさんの母親たちの姿が見える。

「髪の毛やわらかいしいいにおいするから」

と、子どもは言う。

夫の実家に二人で泊まりに行くことになったときは、「お父さんの髪はいいにおいしないから嫌だ」と渋るので、夫に私が普段使っているシャンプーとコンディショナーを使ってもらうことにした(が、「やっぱりお父さんの髪、かたくて短いからだめだった」とのこと)。

今年、保育園経由でコロナに一家罹患し、私だけ別の部屋隔離されていた期間は、かなり不安だったようだ。2日間はなんとか我慢していたものの、3日目の寝る間際になって、引き戸の隙間からおずおずと「お母さん、髪の毛触っちゃダメ?」と聞いてきた。

マスクをして戸を開けると、パジャマ姿の子どもの顔がパッと明るくなる。うれしそうに手を伸ばし、しばらく髪の毛を触る。そして急に、

「後で思い出そっと」

と離した手を消毒し、タッと寝室へ去っていった。私は消毒液のボトルを手に持ったまま、ちょっと泣いた。

しかし、髪の毛を求められる日々も、どうやら終わりを告げつつあるらしい。

ある夜、同じ布団に寝た子どもが「おやすみなさーい」とひとつ大きなあくびをして、くるりと私に背を向けたのだ。我が目を疑い、「髪の毛大丈夫?」と聞くと「大丈夫」と返すが早いか、電気を消してあっという間に眠ってしまった。

子どもが、母の髪の毛不要論者になりつつある――。呆然とした。親離れとは、こういうことか。

昨日まで自分を必要としていた人が、突然、その手を離してくる。これから私は、動揺しながらも子どもの自立を受け入れ、子どもにしがみつきたくなる自分を必死で押さえなければいけないのだ。

髪の毛はもう引っ張られたくない。眠りたい。でも、やっぱりたまには引っ張ってほしい。切ない未練とともに、たまに髪の毛を求める子どもを名残惜しむ毎日なのである。

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