冬至と銭湯

冬至の夜、バスに乗って都会の銭湯へ
有馬ゆえ 2025.01.24
誰でも
photo:yue arima

photo:yue arima

 こんにちは。ライターの有馬ゆえです。本年もよろしくお願いいたします!

 今回は昨年の冬至の日の話です。年末年始、我が家にインフルエンザが襲来したため、年末の配信がかなわず1月末に。もう梅まで咲いてる。ではどうぞ。

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 教育支援センターからの帰り道、子どもが「明日、銭湯に行きたい」と言い出した。帰りの会で先生から、冬至の日は子どもは区内の銭湯が無料だと聞いたらしい。

 翌日の冬至の日は土曜日で、午前中から子どもの用事で電車に乗って出かけることになっていた。子どもを会場に送り、別の用事を済ませ、夕方お迎えのために会場に戻ると、子どもは私の顔を見るなり

「じゃ、帰ってから銭湯行こ!」

 と目を輝かせる。きらきら~ん、と擬音が付きそうだ。

 私は疲れて身体が重くめんどくさくなっていたが、その顔を見て、なんかまあ、せっかくだし、と思い直した。ほかほかした身体で子どもと「楽しかったね。また行こ!」とか言い合いながら、夜の大通りを帰ってくることになる気がしたからだ。冬至は一年に一度だし、子どもの9歳は今だけだし、やりたいことはやってみるという教育的意味もあるし。いや単に、そんな思い出がほしくなった。

 電車の中、スマホで家の最寄りの銭湯を検索してみる。グーグルマップで検索すると、自宅からバスで行ける場所に二箇所、銭湯があることがわかった。二人でおでこをくっつけて、口コミや写真を見ていると、子どもが急に指さす。

「こっちがいい。白くてすてきだし、きれいそうだし」

 そうして帰宅した私たちはさっさと夕食を済ませ、再び夜の7時半に家を出たのだった。

 30分に1本しかないバスに乗り込むと、クリスマスを直前に控えた休日の夜の大通りは、家族連れやカップルで賑わっていた。バスは10分ほどで銭湯の最寄り駅に到着し、私たちはイルミネーションで輝く駅前に吐き出される。

 おしゃれな飲食店が立ち並ぶ人気のエリアなので、普段着姿の私たちは明らかに場違いだった。一瞬、恥ずかしさが頭をかすめたが、まあいいか、とそれを捨てた。急に子どもが私の腕を引っ張って「あと何歩ぐらい?」と聞いてくる。何度も聞かれてめんどうになり適当に「500歩ぐらいじゃない」と答えると、子どもは浮き足だった街のなかを

「いち、に、さん、し」

 と数えながら大股で歩きだした。

 レストランや飲み屋がごみごみ並ぶ路地を、ポケットに手を突っ込んで談笑しながらぶらつく若者たち。大衆居酒屋の窓際席で、サワーの入った大きなジョッキ片手にはちゃめちゃにおしゃべりをしている若い女性たち。イタリアンのカウンター席に並んで座り、ワインで乾杯しているカップル。そんな年末を過ごす人たちを、懐かしく見つめる。

「ひゃくごじゅさん、ひゃくごじゅし」

 自分の足下に集中する子どもと手をつないで歩いていると、がやがやと活気ある光景がまぼろしのように思えてくる。

「ひゃくななじゅろく、ひゃくななじゅなな」

 道を曲がり、線路沿いの薄暗い路地に入る。それまでの喧噪が嘘のように静まりかえる。子どもが声を潜め、「ちょっとこわい」とつないだ手を強く握ってきた。

 その手を引っ張るようにして、なんでもないそぶりで銭湯を目指す。こんなとき私は、自分を奮い立たせて強がる母でありながら、心細さの中で母に守られる子どもの気持ちもともに味わっている。

 銭湯の入り口の下駄箱は八割方埋まっていて、整列する小さな窓をのぞいた子どもが「ほとんど大人だね~」と言った。確かに、若い男性が履きそうな靴がたくさんのぞいている。グーグルマップの口コミに「休日の男湯は激混み」と書いてあったのを思い出し、サウナでもあって整いにきた若い男性客で繁盛しているのかな、と考えた。

 下駄箱の上と下の段に一緒に靴をしまい、私たちは引き戸を開けて入り口をくぐった。目の前に背の高いガラス製の冷蔵庫があって、子どもが「わあっ」と声を上げる。上には紙パックのジュースやバナナ牛乳、中断から下にはびんの牛乳が、普通、イチゴ、フルーツ、コーヒーの4種類。「フルーツ牛乳あるよ~」と誘惑した私に「まよっちゃうな~」とうきうき堪える子どもは、絵本やマンガで見た「銭湯のびん牛乳」に憧れているのだった。

「今日は子どもは無料なんで大人550円です」

 「番台」というより「カウンター」に座ったお兄さんが言って、私は財布から1050円を取り出し、500円のおつりを受け取る。カウンターに貼られた「ペイペイでも支払えます」というチラシが目に入り、今時の銭湯は現金払い以外もできるんだな、と思った。

 女湯の細長く狭い脱衣所は、風呂上がりの女性たち7、8人で混み合っていた。老いも若きも、着替えたり、顔にシートパックを貼ったり、ドライヤーで髪を乾かしたりしながら、思い思いに過ごすそのあいだを縫って、私たちは奥へ進み、並んで空いているコインロッカーを探す。そこに浴場の方から、黒髪の女性が私たちの斜め上あたりをぎょろりとした目で凝視したままやってくる。目線を追うと、ロッカーの上にテレビが置いてあり、しょこたんが猫のお洋服を爆買いしていた。音が消されているので気づかなかった。

 と、今度は胸元でラグビーボールのような形のタオルを抱いた痩せ型の女性が、すたすた歩いてくる。そして私と黒髪の女性の間を通り抜け、彼女が床の上にタオルを置くと、それがタオルに包まれた赤ちゃんだとわかった。まだ首も据わっていない。

「わあかわいい」

 子どもが思わず声を上げ、こちらを見た彼女とにこっと笑い合う。生後1、2カ月ほどの赤ちゃんを連れてくる人なんているんだ、と思った。単純に銭湯が大好きすぎて子どもにも早く体験させたかったのか、それとも預かってくれる人がいない、家の水道からお湯が出ないなどの事情があるのか。

 もたもたと二人で服を脱ぎ、石けんとシャンプーを持って浴場に向かう。磨りガラスの引き戸を開けると、「水風呂がある!」と子どもが歓声を上げた。

 全体を白で統一したタイルばりの浴場は、銭湯にしては狭いながらも清潔で居心地が良かった。サウナ利用者が多いのか、浴場には湯船に2人、洗い場に2人の女性がいるだけだ。私たちは、手前から二列目の洗い場に並んで座り、髪と身体を洗い始めた。

 途中、私の左隣に20代ほどの髪の長い女性がやってきて、立ったまま顔を上に上げ、目をつむってシャワーで髪を洗い流し始めた。公共の場でそうやって髪を洗う人を見るのが初めてだったので、驚いて見るでもなく見ていると、今度は彼女の髪を流れ落ちた水しぶきが身体にかかってきた。子どもの方に、ちょっとだけ椅子をずらす。しかし、子どもも女性もそれには気づかずに自分の身体や髪を洗うのに集中していて、私の足下には女性が指先を動かすたびにシャンプーの泡が容赦なく落ちてきた。

 湯船に入ろうとする子どもに髪を絞らせ、自分も髪を絞ってゴムで結ぶ。石けんやシャンプーはどうしよう、と周りを見回すと、洗い場の上にシャンプーやボディーソープ、あかすりタオル、かっさなどの入った小さなかごが二つ置いてあったので、その隣に置かせてもらうことにした。

 手前側のお風呂は「高濃度炭酸泉」。そろそろ入るとややぬるめで、ぷつぷつ柔らかい粒が肌にくっついてははじける。うふふふ、と子どもが満たされた顔で笑う。子どもがあたたまって気持ちよさそうにしているだけで、私がなぜこんなに幸せになるのか不思議だ。

 男湯との境の壁の大理石をカットしたような白いタイルを二人でかわいいねえと関心し合ってから、お次は奥の「人工ラジウム泉」。やや熱めのお湯をじんわり味わっていると、子どもが大量のゆずを積めた大きな洗濯ネットを持ち上げて見せ、思わず笑ってしまった。

「見て~、ゆずだよ!」

 やわらかくなったゆずの皮を指でもみもみしている子どもを制し、自分は奥のジェットバスへとふわふわ歩いて移動する。試しに手で勢いを確認すると、思いのほか強い。これは! 最近四十肩で傷む左肩をほぐすのにちょうどいい! とひらめき、お湯の勢いに身を預けた。身体をゆっくりずらしながら全身に刺激を与えていると、熱さに堪えかねた子どもが炭酸湯に戻るよと声をかけてくる。

 ぼやっと洗い場に目をやると、固太りの中年女性が洗い場の洗面器を一つひとつ洗って回っていた。スタッフの人なのだろうか。その傍らでは、かなり痩せた中年女性が鬼気迫る勢いで足の指の間を洗っている。銭湯とは不思議な場所だなと思った。そこに、子どもが「お母さん、こっち来て!」と叫ぶ。

 子どもにせかされて仕方なく動き出すと、太ももに泡立つようなかゆみを覚えた。指でかきたくなったが、いやお湯に垢が落ちたら悪いなと考えて、かきたい気持ちを抑えるなんて私は大人なんだな、他人事のように思った。

 そもそも、私は温泉や大浴場、銭湯の類いがずっと嫌いだったのだ。生来の性質に加え、我が家は銭湯に行く習慣がなく、温泉旅行もしたことがなかったからか、特に思春期以降は人前で裸になるのも、混み合った脱衣所でそわそわと気を遣って着替えるのも、お湯に入ってすぐのぼせてしまうのも、体が温まりすぎて身体がかゆくなるのも嫌だった。

 それなのに今、私は銭湯って意外に楽しいなとすら思っている。それは、子どもが銭湯という場所を楽しんでいるという喜びと、自分自身が大人になって手に入れた鈍感さのおかげなのだろう。

 湯船からあがってざっとシャワーを浴びる。脱衣所に戻ろうと歩いていると、前にいた子どもが水風呂に手を差し入れ、

「冷た~い! お母さんも触ってみて!」

 とうれしそうに振り向いた。付き合いでちょっと手を入れると本当に冷たくて、もう一回、人工ラジウム泉の熱いお湯に戻りたくなる。大人になると、こんなにも簡単に体が冷える。

 着替えながら、ロッカーの上のテレビに目をやる。しばらくして放送されているのが銭湯専用チャンネルなのだと気づき、世の中には知らないビジネスがまだあるんだなと思った。

 突然、鏡台の方から「お金入れて使うんですよ」という若い女性の声がした。

 見ると、20代のファーストサマー・ウイカのようなきりっとした美人が、たびたびドライヤーを止め、隣に座っている気の弱そうな60代ぐらいの女性に、ドライヤーの使い方を教えてあげていた。親切だがおもねらない口調は、バイトの先輩が、入ってきたばかりの年上の後輩に指導をしているようだった。

 洗い場で私の左で立ったままシャワーを浴びていた若い女性が、すたすたと歩いてくる。子どもの隣のロッカーを開ける。一瞬目に入ったはじけるような体の形とバランスに、長らくK-POPの女子アイドルたちをウォッチしてきた私の直感が、この身体のバランスは日本人ではなく韓国の人ではないか、と判断する。あらためて見ると、彼女の顔つきもそんなふうに思えてくる。

 彼女が浴場に持ってきていた、シャンプーやボディーソープの入ったあのかご。よく聞いている50代の韓国在住の日本人ポッドキャスターが「韓国では大型マンションに住民専用の大浴場があって、みんな毎日そこに通っているんです。そこにはみんな思い思いのバスグッズやマッサージアイテムをかごに入れて持っていくんです」といった話をしていた。

 そういえば、子どもの好きなペク・ヒナさんの絵本『天女銭湯』(ブロンズ新社)の舞台はまさしく“近所の古い銭湯”で、母親と一緒に銭湯に行った主人公の女の子が水風呂で遊んで、あかすりをして、ヤクルン(ヤクルト)をお母さんにねだるのだった。そうか、子どもが最初に水風呂に興奮したのは、絵本で見た水風呂が実際にあったからか。泳がなくてよかった。

 彼女はもしかして日本に留学している、または日本で就職した韓国人なのだろうか。近いけれど遠い異国の地で、故郷での習慣でこの銭湯に通い、心身を癒やしているのだろうか。

 3分10円のリファのドライヤーで髪を乾かし、のれんをくぐって脱衣所を出る。子どもがタッと冷蔵庫に駆け寄り、ひとしきり迷ってから、フルーツ牛乳を手に取った。

 カウンター横にある待合スペースのソファに座るや否や、子どもは一生懸命にふたを開けようとしはじめる。私はその向かいに腰を下ろし、子どもを手伝おうと両手でびんを押さえた。かたくはまった樹脂ゴム製のふたをやっとのことで開け、フルーツ牛乳をぐいっと飲んだ子どもが、マンガのように目を見開く。ぴかーん!と擬音が付きそうだ。

「おいしい! これなんか知ってる味がする」

 スマホで帰りのバスのリアルタイム運行状況を見ると、家の近所を通るバスはすぐ近くまで来てしまっていた。これを逃したら、次は30分後。でも、飲み始めたばかりの飲み物を早く飲めと子どもをせかすのもはばかられる。そんなふうにうじうじしていると、バスは停留所を通り過ぎてしまった。

 まあいい、歩きがちょっと増えるけど、別のバスで帰ろう。明日も休みだ。

 子どもがフルーツ牛乳を飲み干すのを待ち、銭湯を出る。ピリッと寒く乾いた風が、私たちをなでて去って行く。せっかくあたたまったというのに、冬の空気はすぐさま私たちの体から体温を奪っていきそうだった。

 しんとした道を、手をつないでひたひたと歩く。

「思い出した、フルーツ牛乳、あれマシュマロの味だわ」

 ふいにしゃべり出した子どもに「あーいろんな味が入ってるやつ?」と聞くと、こちらを見てうなずいた。

 駅前のバス停の列に並ぶ。寒い。ダウンジャケットの前を開け、身をすくめる子どもを包む。子どもは私の胸に耳をぴたりとくっつけて体重を預け、ぽやっとどこかを見つめている。安心しきった子どもの顔をみているうち、再び自分の意識が母親である自分と、母親に抱かれている子どもの肉体を行ったり来たりする感覚に陥った。こうやって暗い闇の中でくっついていると、別々の人間同士なのに、なんだか溶け合ってしまいそうだ。

 バスで家から少し離れたスーパーの近くまで乗って、いつもは夕方に歩く道を家まで向かう。スーパーの店内はこうこうと明るく、買い物をして帰宅するのであろう20、30代の男女が、何人かセルフレジで買い物をしていた。休日夜9時台のスーパーってこんな感じだったっけ。

「夜11時までだって」

 入り口の文字を見て私が言うと子どもは顔をしかめた。

「えー絶対ここでバイトしない」

「でも、朝早い時間とか夜遅い時間になると、お給料が上がるよ。例えば、昼間は一時間1000円だとしたら、朝とか夜は1100円とか、1200円とか」

「働く時間長いじゃん」

「開店から閉店まで働かなくてもいいから大丈夫」

「じゃあ朝早くにしよ。早く寝れば早く起きられるし」

 びゅうっと吹いた風にダウンジャケットのフードをかぶると、子どもが「うちも」とパーカーのフードをかぶり、なんとなく目が合って、どちらからともなくふふふと笑う。子どもと一緒に暮らすのは楽しいなと思った。

「ねぇ、『天女銭湯』みたいな韓国の銭湯にも行ってみようねぇ、行きたいって言ってたやつ」

 そう口にして、小さい頃、子どもが絵本の中のあかすりが痛そうすぎて言った「あかすりしなくてもヤクルト買ってくれる?」というかわいいセリフを思い出す。うんうん、と子どもがうなずく。

 大切な思い出が、毎日心にたまっていく。今日会った女性たちを思い浮かべて、それから私の手を握る子どもの小さな手を確かめ、その未来を思った。

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