“普通”じゃなくても、我らゲームの世界で(2)

「スプラで人生変わったわ」と子どもは言う。
有馬ゆえ 2024.11.08
誰でも
2024年の国際福祉機器展で、NPO法人ぱれっとのワークショップに子どもが参加して作ったぬいぐるみ。名はくまたん。photo:yue arima

2024年の国際福祉機器展で、NPO法人ぱれっとのワークショップに子どもが参加して作ったぬいぐるみ。名はくまたん。photo:yue arima

 こんにちは。ライターの有馬ゆえです。

 11月になると、なぜか大学の校舎から部室棟につながる坂道を思い出します。私は写真部だったのですが、冬場に遅くまで暗室で写真を現像して帰るとき、その坂道は木々に囲まれ真っ暗だったものですから、とっても怖かったのでした。ひゅうひゅう吹く冷たい風にコートの前をぎゅっと合わせ、肩をすくめて早足で歩いたのでした。

 さて、それでは今回は、前回の記事の続きです。初めての方は(1)からご覧ください。

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 国際福祉機器展で心眼プレイをした日を境に、子どもは家でゲームをしたがるようになった。

 まずは夫のプレイステーション3で、中古で買い求めた「ストリートファイター4」をプレイ。お気に入りのチュンリーを操って対戦相手をめためたに攻撃したり、「爆裂脚!」とチュンリーのキックを真似したり、チュンリー風のチャイナ服を着た女の子の絵を描いたりするようになった。

「クリスマスにはサンタにニンテンドースイッチをもらいたい」とも言い出した。スイッチを持っている同じマンションの友達の家ではもっぱら見る専で、「私はゲーム機はいらない」と断言していたのに気が変わったらしい。「スプラトゥーン3」を好きなだけ練習してうまくなりたい、うまくなったら友達のお姉ちゃんとその友達のように自分も友達と一緒にオンラインバトルに参加してみたい、と夢見るような口調で語った。

 サンタにスイッチを授かってから数カ月は、目を見張るようなストイックさで毎日2時間、きっちりとスプラをやりこんだ。クリアできないステージに何度も挑戦し、オンライン対戦に白熱するようになると、テクニックを磨くために対戦相手やYouTuberのプレイを見ながらトライアルアンドエラーを繰り返すようになった。これは、地道な練習を何より嫌う我が子の新たな一面だった。ゲームの中で毎日練習を重ねて上達するという経験を積んでいるということに、私はひどく感動した。

 子どもが友達と、ちゃぶ台の上にスイッチの小さな画面を置いて向かい合い、他愛もない話をしながらスプラトゥーンの世界で一緒に遊び回っているのを見るのが好きだ。二人は、校庭、公園でブランコをこいだり、鬼ごっこやかくれんぼをしたりするのと同じ感覚で、「海女美術大学」やら「スメーシーワールド」で一緒に戦ったり、冒険したりしている。本で読んだ、最近の子どもたちはゲームの世界で一緒に遊んでいるという話が、目の前で繰り広げられている。

 畳屋さんの友達の家で、こたつに入ってカナダドライを飲みながら「ドラゴンクエスト4」をプレイしていた、自分の小学生時代を思い出す。

 あの頃、私と友達は小さなブラウン管テレビにギザギザのドット絵で描かれたドラクエの世界に入り込み、ともに旅をしていた。コントローラーを握るのはどちらか一方だったけれど、私たちは一緒に村の民家の前に並ぶ壺を割り、出てきた「馬のふん」に「馬のふんかよ~!」と笑い、道具屋でそれを売って1ゴールドを手に入れた。それは子どもという現実の役割をしばし離れる時間であると同時に、通学路でオシロイバナの種をつぶしたり、移動教室のために筆箱を持って音楽室まで走ったり、夕飯時に家族で食卓を囲んだり、お風呂でぎゅっと目をつぶって髪の毛を洗ったりするのとシームレスにつながる日常でもあった。

 子どももその友達も、そんな感じなのかもしれない。二人は現実世界ではおとなしく順応しているタイプなので、おしゃべりしながら敵チームのプレイヤーとインクを撃ち合って激しく戦い、ストレス解消もしているのだろう。

 今やゲームは、子どもの生活の一部となっている。近所に住む友達とつながるだけでなく、見知らぬオンラインの友達と協力プレイをしたり、普段は会えない年上の友達とゲームの中で落ち合って遊んだりしていて、楽しそうだ。「スプラで人生変わったわ」と子どもは言う。

 子どもは将来的に、私とも一緒にオンラインでスプラトゥーンをしたいらしい。「今はゲームをやりこむ時間がないんだよぉ~」と嘆いたら、「おばあちゃんになってからゲームしたっていいし。年齢は関係ないよ」と励まされた。想像以上にロングスパンの計画であるが、確かにゲームに年齢は関係ない。

 自宅のリビングでゲーム機の電源を入れ、離れて暮らす一人暮らしの子どもとオンラインでつながってスプラトゥーンで一緒に遊ぶ。そんなのって、ほんと全然悪くない。いつか入るかもしれない老人ホームにも持って行こうか。

 秋になり、再び国際福祉機器展のシーズンがやってきて、私たちは今年も家族三人で東京ビッグサイトに赴いた。子どもの目的はもちろん、eスポーツを通じて障害者の社会参加と就労支援をしているePARAのブースで「ストリートファイター6」をすること。1ミリも練習せずにやってくるとは、いい度胸である。前回同様、取材をしに来た夫と別れると、私たちはいの一番にバリアフリーe-Sports体験ブースを目指した。

 ブースにはすでに人だかりができ、ストリートファイターのキャラクターたちが技を繰り出す声が聞こえる。人垣の向こうに全盲のeスポーツプレイヤー実里さんの微笑みが見えた瞬間、わっとうれしくなる。あっ私は実里さんに会いたかったのだ、と初めて自覚した。

 若いビジネスマンたちがコントローラーを手にわいわい試合に白熱する横で、画面に背を向けて座った実里さんはヘッドホン姿で目をつむり、じっと押し黙っていた。コントローラを操作している指先以外は微動だにしない。聴覚を研ぎ澄ませてプレイに集中している様子は、まるでキャンバスに絵筆を走らせる芸術家や、コンマ何秒を争ってグラウンドを駆ける陸上選手のようなすごみがあった。

 昨年と違い、今年は心眼モードで戦うePARAのプレイヤーに、参加者は初めから通常モードで対戦することもできるようだった。その方が、障害の有無を超えて一緒に遊ぶ感覚をより味わいやすいということなのかもしれない。

 代わる代わるコントローラーを握っていたビジネスマンたちは、試合が終わると「強かったじゃないスか」「学生の頃、結構ハマッたからな~」と、どやどやはしゃぎながら帰っていった。その間、彼らが目をつむって微笑んでいる実里さんに一度も視線を移さなかったことに、心の奥がチリつく。目の前にいるeスポーツプレイヤーと対戦したのではなく、ゲームセンターのアーケード機でひと遊びして帰って行くかのように見えたからだ。

「行こう」

 次の参加者が来ないうちにと、固まっている我が子の肩を抱いて歩き出す。去年のように相手を下に見るような話し方はしないようにと心で唱えながらスタッフの方に声をかけ、子どもの耳元で「できるだけ大きな声で具体的に話すんだよ。実里さんにはぶつからないように気をつけて」と伝える。しばらくして、去年と同じく実里さんの操る男性格闘家「ジェイミー」と子どもの操る女性格闘家「チュンリー」との対戦が始まった。

 その日もまた、私たちは何度かバリアフリーe-Sports体験ブースを訪れた。昨年戦った直也さんには会えなかったものの、子どもは実里さん、そして同じくePARA所属のeスポーツプレイヤー真しろさんと対戦。スタッフの皆さんに「うまい!」「ナイス必殺技!」と褒められながら勝ったり負けたりを楽しんだ。

 帰る前にもう一度だけ、と挑んだ一戦で、子どもは今日イチのプレイを見せつつも、一勝二敗で実里さんに敗北。最終ラウンドでこてんぱんにやられた子どもは、初めて悔しさに「あぁ~」と小さく声を上げていた。そのとき二人は視覚障害者でも不登校の子どもでもなく、同じステージで戦ったいちゲームプレイヤーだった。

「どんどん強くなっていくんだもんな~」

 K.O.を勝ち取った実里さんが、ヘッドホンを外しながらふふっと笑う。そうか、彼女はいま勝った相手が、今日何度も一緒に対戦したチュンリー使いの小学生であることがわかっているのだ。声や雰囲気、プレイスタイル、スタッフの方々の受け答えなど、視覚情報とは異なる輪郭で、実里さんは我が子を捉えているのだろう。

 一方の子どもは黙って椅子から立ち上がり、「次は勝つ」とつぶやいて、にこりともせずにコントローラーを置く。そして振り返り、タッと私の元に戻ってきた。

 実里さん、スタッフの皆さんにお礼を伝えて、だだっ広い展示場を出口目指して歩き出す。ド平日の昼間でも「今日は学校お休みなの?」なんて聞く人が一人もいなくてよかったな、また来年も来られたらいいな、などと考えていたら、隣にいる子どもが急に晴れやかな声で言った。

「負けちゃったけど、まあいっか。楽しかったし、ストレス解消になったし」

 先日、実里さんがゲスト出演したラジオ「ちょうどいいラジオ」(FMヨコハマ)のポッドキャストを聞いていたら、覚えず泣いてしまった。

 生まれながらに左目が見えず、右目もわずかな視力しかなかったという実里さん。高校時代に右目の病気を患って18歳で全盲となり、大学で目指していた心理士への道を閉ざされる。しかしePARAに出会い、心理士と同様に人を支える仕事ができるのではと、社長に直談判して入社したそうだ。

「悩みがあったり、生きづらさを感じている人の希望、支えになるような存在になりたい」

 実里さんがそう願うのは、中学一年生で一般の学校での勉強について行けなくなってふさぎこんでしまったとき、周囲の大人たちに支えられた経験を持つからだという。

 そんなふうに語れる実里さんがまぶしかった。“普通”の人のために作られているこの社会に生きながら、どれだけ挫折や孤独感、悲しみを味わっただろう。

 実里さんも、学校に行かない子どもも、その子を持つ親である私も、立場は違えど最良の今を生きようとしている。でもそれは、到底“普通”にはかなわない。「多様性っていいよね」という素敵な言葉は、その思わず口に出したくなる舌触りの良さとはうらはらに、まだまだ私たちが知覚できる具体的な形を持っていない。

 この国では、整備されたぶっといメインロードを外れると、途端にびっくりするほどたよりない獣道を歩くことになる。先人たちが熱心に踏み固め、広げ、伸ばしてくれた道でも、どうしたって石につまずいて転ぶし、水たまりに足も取られる。

 私が実里さんに出会った1年前の国際福祉機器展で、彼女はePARAのトークショーにeスポーツを始めたばかりの新入社員として登壇していた。少し恥ずかしそうに、でも生き生きと自分のゲーム歴や視覚障害者のゲーム事情を語るその姿は、白杖で登場したこと、ずっと目をつむっていること以外は、大学を卒業したてのごく普通のかわいらしいお嬢さんで、私は驚き、心打たれた。

 文字通り、希望を見ていたのだろう。ハンディキャップを抱えながらも使命感を持って仕事に励んでいる彼女の姿に、励まされたのだ。

 我が子もいつか「あのとき周囲の大人たちに支えられたな」という実感を持てたらいいなと思う。そんな日が来ることを願いながら、うっそうとした森の中をともに歩いていけたら。そして、獣道を踏む私たちの一歩一歩が、後に続く誰かの役に立ったら。

<参考文献>

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