私と「更年期障害」の25年
photo:yue arima
こんにちは。ライターの有馬ゆえです。
暖冬だそうで、12月にもかかわらず遅くに始まった秋の気配がそこここに残っていて、それはそれで好き。この季節は、街角でさざんかが咲いているのを見るのも好き。これさざんかだっけ、椿だっけ、と思って、スマホで検索して、葉っぱがギザギザのほうがさざんか、と確認するところまで一セット。記憶力に自信なし。
大きな銀杏の木も好き。つぶれたぎんなんはくさいけど。photo:yue arima
さて今回は、私の人生と更年期障害について。
ここ数年、うっすらと更年期障害を恐れながら暮らしてきた。母からは「私は更年期障害はほとんど感じたことがなかったから、あなたも大丈夫よ」と言われたが、私は父と母と両方の家系の血を引いているわけだし、そもそも違う身体を持つ人間なんだから同じわけがないだろう、と思っていた。むしろ身近な事例がないだけに、不安はよけいに膨らんだ。
女性の更年期とは、閉経を中心に前後5年の計10年間を指す言葉だ。この時期は女性ホルモンの急激な減少の影響で自律神経が乱れやすく、よく知られるホットフラッシュ、イライラ、寝付きの悪さ、不眠、冷えなどの、いわゆる更年期障害の症状が出やすくなるといわれる。
女性が閉経する平均年齢は50歳、すなわち更年期は45歳から55歳の期間が平均だといわれるが、その個人差は大きいという。しかも、閉経するまで人は閉経したことを自覚できないので、閉経の約5年前にやってくる更年期の始まりは、誰も自覚できないのである。なんだそりゃ。
私が「更年期」という文字を初めて見たのは、たぶん女性誌だったと思う。2000年代前半、大学生のときに入り浸っていた友人の家で、そのお母さんが愛読していた女性向けファッション誌『Lee』のモノクロページでだったか、駆け出しのライターだった20代半ばにかかわっていた、30~40代向けの名もなき女性向けライフスタイル誌の端っこでだったか。どちらにしてもその情報はひっそりと掲載されており、私は私でその字面を目の端っこで捉えて、ぴょっと捨てるぐらいに無関心だった。
自分が初めてライターとして「更年期」という文字を打ち込んだのは、30代前半の頃、2010年前後のことだ。若い女性向けの媒体で「プレ更年期」(当時は「プチ更年期」とも呼ばれていた)という言葉が取り上げられるようになり、私も同じく若い女性向けメディアでそれに関する企画を出したり、取材をしたりしていた。
プレ更年期とは、更年期にさしかかる前の30代後半から40代に、更年期と同じ症状が身体に出ることを指す言葉だ。ストレス過多で更年期のような自律神経の乱れが起きるのが原因なのだという。この年代の女性は、仕事で強いプレッシャーを受けたり、仕事と子育て、介護など私生活の両立に悩んだりしがちで、不妊治療や高齢出産による心身のストレスを受けたり、SNSでの人間関係に悩む人も多い、と取材をした婦人科の先生たちは話していた。
2010年代の後半、出産後には「思春期 v.s. 更年期」というワードに出合った。出産の高齢化により、子どもの思春期と親の更年期というホルモンバランスの不安定な時期がぶつかり、親子関係の悪化に悩む家庭が増加。そこに受験などが絡むと最悪とのことだった。そもそも更年期は平均10年と長く、「思春期の受験生」の年齢も小学生から高校生まで幅広い。自分にも無関係ではなさそうだし恐ろしいなと思い、私も子育てメディアや教育メディアで何回か「思春期 v.s. 更年期」の企画を出したことがある。
2020年代に入ってからは、男性読者の多いビジネスメディアで、企業のダイバーシティー&インクルージョンに関する文脈で、更年期という言葉を見たり聞いたり書いたりするようになった。このとき更年期は、生理とともに「女性の体調不良のひとつ」として捉えられ、男性の経営者が「花粉症や偏頭痛などと同様に、目には見えないけれど配慮されるべき個々の事情と考えられるべきではないか」などと語るのを最初に見たときは、驚き、同時に「まずは妻に優しくしろよ」と思ったのだった。男性が40代頃になって男性ホルモン低下の影響で不調をきたす「男性更年期」という言葉をメディアで目にするようになったのも、この頃だろう。
ここまで筆の向くままに書いてきて、私が見てきた「更年期」という言葉の変遷は、女性の社会進出の変遷でもあるのだなと気づいた。更年期世代の女性たちのあいだでひっそり語られてきた「更年期」は、女性の生き方の多様化とともに「女性全体の問題」になり、「家庭の問題」になり、「社会の問題」になったのだ。
今後はこれが、もっと経済効果を生む身体の問題に限定されない形で語られるようになるといいなと思う。資本主義とは関係なく、どんな人の健康も公平に尊重されるべきだからだ。
そんな私に更年期がやってきたのは、突然のことだった。めっぽう暑かった夏がまだまだ残る10月の中頃、急に身体がいうことをきかなくなった。
まず、身体の体温調節がうまくいかなくなった。いつからか、夫と子どもは快適に過ごしていても自分だけ頻繁にシャツに重ねたトレーナーを脱ぎ着するようになって、あれ、この突如暑くなる現象はホットフラッシュなのではないか、と気づいた。「急に上半身がカーッと熱くなる」と書かれていた(自分も書いた)アレ、もっと『コジコジ』のやかんくんが沸騰するときみたいにカーッとなると思ってた。
同時期に、眠りが浅くなり、夜中に何度も目覚めてしまうようにもなった。おかげで、睡眠不足で見たこともないような青黒いクマができ、人生で初めてコンシーラーでクマを隠した。そういえば、ここ数年、生理が止まったり定期的にやってきたりを繰り返すようになっていた。父の死や子どもの不登校など環境によるストレスかと思ったけれど、私の身体の問題だったのかもしれない。そこで試しに、かかりつけの内科医に相談し、更年期障害の定番漢方薬「加味逍遙散」を出してもらうことにした。
思えばこの頃までは、のんきなものだった。過去に自分が書いた「更年期チェックリスト」に印を入れながら、自分の身体の変化を楽しむだけの余裕があった。自分も人間なんだなと実感したり、これを解明した誰かがいるのだと感動したりできていたのである。
しかししばらくして、急に事態が深刻さを増した。
理由は二つある。一つは、なんだかイライラして感情を止めるのが難しくなり、子どもの信頼を失ってしまうのが怖くなったこと。子どもに対して理不尽な怒りをぶつけては謝る、を繰り返すようになり、このままでは「思春期 v.s. 更年期」だという危機感を抱いたのである。
もう一つは、動悸によるフラッシュバックだ。これがきつかった。
とある一人早く起きてしまったある早朝、キッチンでコップの水を飲み干して仕事部屋に向かおうとすると、いきなり心臓がドックン、ドックンと大きく音を立て始めた。
「これが更年期の動悸かぁ」
と、感慨にふけりかけた瞬間、20代の初めにひどいうつを患っていた頃、たびたび動悸がして息苦しくなっていたことを思い出した。嫌だな、と感じる間もなく、大きくひねった蛇口の水のように、ドドドッと突然に当時のつらい記憶や絶望感が頭の中になだれ込んでくる。途端に息が詰まった。
血の気が引いていくなかで、口が勝手にふーーーーーーと長く息を吐く。「あ~~~やばい、これはやばい、やばいねぇ~」と、出そうともしていないのんきな声が漏れる。身体が危機感で、とっさに反応しているのだとわかった。
動悸を媒介にして、当時の苦しさが引っ張り出されたのだろう。フラッシュバックとは、こんなふうにも起こるのか、とショックを受けていた。これが続いたらまたダメになってしまうかもしれない。あの頃には絶対に戻りたくないという気持ちで、20年あまり頑張ってきたのに。
どうにかしないといけない。
強く瞬きをしてから、朝の分の加味逍遙散を飲んだ。子どものお弁当を用意する時間だ。炊飯器で炊き上がったばかりの白米を冷ますため、平皿に薄く広げてシリコンのラップをかけ、皿ごと保冷剤の上にのせる。
何かの記事を書いていたとき、女性経営者が「更年期障害対策でホルモン充填療法をしていたんです。ホルモンパッチを貼って」と話していたな、とひらめいた。
私も負けないぞ。まずは婦人科だ。女性ホルモンの量を検査して、必要ならば薬を出してもらって、精神的にきつさが残るなら心療内科も組み合わせればいい。更年期障害なんかで、自分がつかみ取った今の人生を失わない。
やってやろうじゃないか。西洋医学も東洋医学も人類の叡智を集結させ、人生の後半戦に向けて荒ぶる身体を乗りこなしてやる。なんたって時代はリプロダクティブ・ヘルス&ライツなんだもんね。あの頃と違って、私には知恵も、勇気も、あたたかいつながりも、自分を大切に思う気持ちもあるんだから。
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