さと子みんなのクリニック(1)

甘えた名前つけんなとか思ってごめんなさい。
有馬ゆえ 2025.12.19
誰でも
photo:yue arima

photo:yue arima

 こんにちは。ライターの有馬ゆえです。

 街はすっかりクリスマスですね~。ライトアップと鈴の音が彩るこの時期の街歩き、とっても好き。東京の住宅街に突然現れる力の入ったデコレーションも好き。 クリスマスについては以前「サンタとヨンタ」という話も書きました。  

 さて今年も「ブックサンタ」に参加しました。ブックサンタとは、さまざまな困難によって体験格差を抱える全国の子どもたちに、寄付によって集まった本をクリスマスプレゼントとして贈る取り組み。活動資金が足りないというニュースを読み、今年は本ではなく微々たる額ではありますが金銭的な寄付をしました。

 それでは今回は、女性の名字や名前にまつわる話を。前回と同じく、試験的に短文×複数回形式でお送りします。

***

 5年以上前の話だ。自治体が行っている健康診断の案内が届き、受診可能な区内のクリニック一覧を目でスクロールしていると、「さと子みんなのクリニック」という名称が目に止まった。

「なに甘えた名前つけてんだよ」

 反射的に悪態をつく。「佐藤」「菊池」「池田」「杉村」など、医師の名字を冠したクリニックが多い中、「さと子」という字面はひときわ目立っていた。

 「さと子は~」と舌っ足らずな口調で話し、無知なふりをして男性におもねる女性が目に浮かぶ。医者のくせして、自分を自分の下の名前で呼ぶとは何事だ。しかも平仮名かよ。それに「みんなの」ってなんだよ。かわいこぶるな、抽象的すぎる。「内科・小児科」でいいだろ。しっかりしろ。なぜか猛烈に腹が立った。

 その後も「さと子みんなのクリニック」という名称は、ふとした瞬間に頭の中にふわんと浮かんできて、そのたび私は激しい怒りに駆られた。区内のあるエリアでは電信柱に「さと子みんなのクリニック」の看板がかかっており、それらを見るたびいらだっていた。それも、何年も。

 しかしあるとき唐突にわかってしまった。私の認識は間違っていた。さと子先生はたぶん、望んで「さと子」を名乗ったわけではなかったのではないだろうか。名字を奪われたのだ。だれに? 日本の社会にだ。

 以前とは別の女性がイメージされる。

 彼女は医師として働いていた。愛する男性と出会い、結婚することにした。婚姻関係を結ぶに当たっては、日本の制度と慣習に則り、夫ではなく自身が名字を変えた。母親もそうだったし、周囲の友人たちもそうしていた。

 その後、出産し、痛感する。幼い子どもの育児において、小児科がいかに身近な存在か。専門知識を携えながら親の心配や不安、プレッシャーをくみ取り、寄り添ってくれる医師の存在が、どれだけ親を支えるか。子どもから病気をもらいやすい家族が、子どもとともにかかれる病院があったら、いかにありがたいか。

 家族から、社会から“お世話”と名付けられる類いの労働を背負わせられがちな母親たちの力になりたい。それが私のすべき仕事だ。彼女はそう思って、自身のクリニックを開業した。

 自身の下の名前をクリニック名にしたのは、自分が変わらず持っていられた名前がそれだけだったからだろう。平仮名表記は、子どもも容易に読めるように。「みんなの」は年齢を問わず診療の対象であることが、だれにでも分かるように。

 私にこの想像力をくれたのは、女性たちの声だった。友人、知人、取材で出会ったインタビューイーの人たち。切実な思いを語ってくれた人たちの顔が浮かぶ。

 「結婚で自分の名字を奪われるのは嫌だ」と、数え切れないほど多くの女性たちが打ち明けてくれた。自分の名字を守るため、事実婚を選択して子どもと戸籍上のつながりを持てなかったり、離婚という選択をとるしかない人もいた。ビジネスで活躍する母親たちに取材をすると、「出産を経て、過去の自分のような人たちの力になりたいと仕事を変えた」というエピソードを本当によく聞いた。彼女たちは持続可能な社会をつくりたいと転職をしたり、企業をしたり、NPOを立ち上げて母親たちをつないだりしていた。そもそも自分だって、そうした気持ちで仕事を選ぶようになっていた。

 何年も前、私がさと子先生に抱いていた軽薄な女性像は、完全に偏見であり、心の奥底に眠っていた女性蔑視の表れだった。覚えずそれが噴き出したのは、男性を中心に回っている社会に媚びへつらいたくない自分と、いまだ「合コンのさしすせそ」の世界観で生きる女性たちが得をしているように見える自分がいたからなのかもな、と思う。

 自身をかわいらしい存在に見せたい自己顕示のためだけにクリニック名を決めたと思い込んだ自分を恥じる。そして、会ったことのないさと子先生に「本当にごめんなさい」と詫びるのだった。

***

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bonyari.scope@gmail.com


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