さとこみんなのクリニック(2)
photo:yue arima
こんにちは。ライターの有馬ゆえです。
2025年も残すところ1週間を切りました。この年末年始の楽しみは、ドラマ『十角館の殺人』の地上波再放送と、『ウンナンの気分は上々。』の特番であります。
今年、本レターにお付き合いいただいた読者の皆様、ありがとうございました。たまに「読んだよ~」と教えてくださる皆様、メッセージを受け取るたびにうれしく、力をもらっています。来年も細々と書き続けていきますので、どうぞよろしくお願いいたします。
では今年最後のレターは、前回の続きです。法律婚で夫の姓に改姓した私と、旧姓の通称使用と、選択的夫婦別姓と。未読の方は(1)からご覧ください。
私が名乗っている「有馬ゆえ」というのはペンネームだ。そして、私の戸籍上の名前は「夫の姓」と「生まれたときにつけられた名前」である。
10年前に法律婚をした。婚姻届を出す際に、自分の名字を相手の姓に変更した。夫は「俺が姓を変えてもいいけどどうする?」と言ってくれていたが、「いや、私が変えるっす」と簡単に自分の名字を変えた。
結婚して好きな人と同じ名字になりたいという、ロマンチックな夢を抱いたことはなかった。家族との縁を切りたいから積極的に名字を変えたい、と切望しているわけでもなかった。正直、名字なんてどうでもよかった。その中でこの選択をしたのには、いくつかの個人的な事情が関係しているように思う。
一つ目は、名字が自分に固有のものだという感覚をもってこなかったことだ。私にとって夫の姓をつけた名前は、「新しいフェーズの私についた名前」といったイメージだった。
私の名字はすでに2歳のとき、両親の離婚にともなって父親の姓から母親の旧姓に変更されている。小学生で「自分は以前は●●という名字だったが、今は▼▼を名乗っている」という意識を持っていて、クラスで出席番号順の座席になって「あ~仲良しの子と席が離れちゃったな~。●●のままだったら隣だったのに」などと残念がっていた。母親が再婚を考えていれば、「この名字になるのか」と複雑な気持ちになった。常に、自分の名字に(仮)がついているようだった。
同居している祖母は、10歳頃に生家を離れて別の家へ養子に入り、そのときにも姓を変えている人だった。祖父方の家の親戚づきあいが希薄で、氏による強い結びつきを感じる場面が少なかった野も関係しているだろう。さらに、20歳のときには、母親が再婚して配偶者の姓に改姓している。養子縁組をしなかった私は●●を名乗り続けることになり、母は別々の名字を持つことになった。
もう一つの事情は、私が「有馬ゆえ」という名前に強いアイデンティティーを感じていることだ。
このペンネームをつけたのは、中学生のときだ。文芸部の部誌かなんかで使う新しいペンネームを探していた折に、テレビドラマの登場人物の名前から発想したと記憶している。「『有馬』だと、本が出たときに本屋の棚で『あ』に並ぶから目に付きやすくていいじゃん、名案だ!」と思ったのを覚えている。有栖川有栖と有吉佐和子の間。文章を書いて生きていきたいと考えていた。
この名前を、私は20代半ばでライターの仕事をするようになってからも名乗るようになった。ただ、文章を書くことが好きで好きで仕方ない少女だった私は、書くことにしがみつく、うつ病患者になっていた。
中学時代に思い描いた未来とは違ったが、もらえる仕事は自分なりに頑張った。一人暮らしのアパートで、煙草を吸い、薬を飲み、死にたくなりながら、書いた。サボったのがバレて冷や汗をかいたり、真摯に取り組んで評価してもらったりしながら、やがて28歳で初めての就職をした。闘病は続いたが、人並みに給与がもらえるようになり、以来、書くことで生活ができている。有馬ゆえとして生きた時間は、私を「何もできない人」から「書くことだけはどうにかできる人」にしてくれたのだ。
戸籍上の名前が変わろうとも自分が損なわれることがないと感じられるのは、私がこの名前を持っているからなのだろう。
生家の名字+名前の組み合わせが、自分にとっての「有馬ゆえ」と同様の意味を持つ人たちのことを考えてみる。「自分のアイデンティティーである姓を変えたくない」と主張する人たちには、姓を変えさせられることが、自分の一部を乱暴にはぎとられるようなものなのだと、わかってくる。
仮に結婚を選択する際、「有馬ゆえ」の改姓を求められていたとしたら、私だってその婚姻を拒否したはずだ。自身のアイデンティティーと結びついた名前を守るために事実婚を選び、自分ごととして選択的夫婦別姓の実現を望んだだろう。
一方で、固有の事情がなかったとしても、36歳の私は事実、男女の不平等に対する感性が鈍かった。だから、自分が選んだかのように、女が名字を変えるという慣習に則った。則ってしまった。
36歳の私は、世の中で女性が軽視されていることに憤ってはいた。女同士が敵対させられたり、女に毒を吐く女がもてはやされたり、女性の趣味が男性との家庭生活を見越した「女子力」と語られたり、自分がなんとな~く職場でのケア労働を無償で押しつけられたり、男性が心地よく生きるための「女子目線での意見」を求められたり、男性から女遊びの自慢をされたり、例の「合コンのさしすせそ」的な振る舞いをする女が男たちにもてはやされたりすることに、マジでマジで怒っていた。
でもそれが、まさか日本社会全体の構造と関係があるなんて想像もできなかった。幼い頃からの「当たり前」のチリが舞うモヤの中にいて、そうした怒りの数々が、婚姻において女性だけが姓を変えることと地続きであるとは気がつけなかった。
出産後、フェミニズム関連の本や記事を読み、理解した。日本社会は明治期以降、男性を過度な労働に縛り付け、女性を男性のお世話と次世代を担う子どもたちの育成に縛り付けることで回ってきた。法律や制度がそんなフレームを作り出してきた。今も私たちはその社会構造の中で生きている。
現在64歳の高市首相は、きっとまだあのモヤの中にいるのだろう。だから平気で「選択的夫婦別姓は反対。旧姓の通称使用で問題ない」などと言えてしまうのだ。
通称として旧姓を使用できたとしても、法的に婚姻関係を結ぼうとする二人のどちらかは姓を変えなければならないことは変わらない。婚姻の際に姓を変える人のうち94%以上は女性だと、内閣府男女共同参画局のウェブサイトに書いてあった。
通称とは、ペンネームやハンドルネームのようなもので、多くの人にとっては「自分ではない何かになるときの名前」なのではないだろうか。高市首相にとっての「高市早苗」、私にとっての「有馬ゆえ」とは違う。
日本初の女性首相が、女性の人権を踏みにじってでも、世界でもう我が国しか採用していない夫婦同姓制度を存続させようとしているという事実が、とても残念だ。
高市首相には、「私は旧姓使用で不自由しなかった」「私は夫の姓を名乗るのも平気だった」という経験則の先を見る想像力を持ってほしい。さと子先生が「さと子みんなのクリニック」を開業する際、やむにやまれず、婚姻で変えずにすむ自身の名前をクリニックの名前にしたのかもしれない、という想像力を。そのために、自分を支持する人たちと同じ数だけ、自分に異を唱えている人たちの声に耳を傾けてほしいなと思う。
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bonyari.scope@gmail.com
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