「バカがなおりますように」

子どもたちの書いた七夕の短冊の中にあった、忘れられない願い。
有馬ゆえ 2026.02.20
誰でも
photo:yue arima

photo:yue arima

 こんにちは。ライターの有馬ゆえです。

 毎回、梅の花の話ばかりして恐縮なのですが、こうやって空気が暖かくなる季節、ぽっ、ぽっ、と、街に梅の香りスポットが増えていく感じが、すっごく好き。ロウバイというお花が甘くて高貴な香りのする木の開花も楽しみにしているのですが、今住んでいるエリアでは近所の公園や個人宅など大きなロウバイが植わっている場所がいくつかあり、その前を通るのが幸福なひとときです。

 今回のレターは、何年か前の忘れられない七夕の短冊について。「すごくない私」が子どものためにできること。

***

 ネットサーフィンをしていて、たまにたどり着く記事がある。新聞やウェブ媒体、ブログ記事までさまざまあるが、その一つが、2021年3月に公開された元サッカー日本代表の中田英寿さんにまつわる朝日新聞の記事だ。中田さんが中学生のときにサッカー部の指導員をしていた日本サッカー協会(JFA)の皆川新一さんのインタビューで、導入部分に中田さんの印象深いセリフが紹介されている。引用する。

 今から30年ほど前のある春の日、練習試合の大敗にすっかり頭に血がのぼり、部員たちに命じた。

 「ダッシュ50本だ!」

 だが一人だけ、その場を動こうとしない少年がいる。

 「なんで走らないんだ!」

 声を荒らげると、落ち着き払った口調で言葉が返ってきた。

 「試合に負けた罰として走るのであれば、負けた原因は監督にもある。皆川さんも一緒に走ってください」

 顔が真っ赤に染まった。勝敗に拘泥し、感情のままにしごきを科す愚かさを、的確に突かれたのだ。

 返す言葉もなく、皆川さんは一緒に走った。汗だくになり、ひざをがくがくさせながら。

「負けた罰で走るなら」中学生のヒデ、私を変えたひと言.朝日新聞.2021-03-21,朝日新聞デジタル,https://digital.asahi.com/articles/ASP386724P2GUTQP011.html(参照2026-02-18)

 毎回、思わず「おお~、ヒデすげぇ~!」と感心してしまうエピソードである。昔の私ならば、このあと「すごいヒデ」と「すごくない自分」を勝手に比較して劣等感にさいなまれたものだが、子どもを持った今はちょっと視点が違う。

 中田さんの俯瞰的な物の見方や、上下関係に臆することなく意見できる勇気は、本当に素晴らしい。が、子どものほとんどは中田さんではない。そして、大人のほとんどは皆川さんのようには子どもの話を受け止めない。

 メディアは、スーパーヒーローを称えたり、大人の価値観を大きく揺さぶる子どもたちをありがたがったりする。それは、ほとんどの人がスーパーヒーローではなく、ほとんどの子どもが大人の価値観を揺さぶれないということでもある。


 以前、子どもがたまに参加していた活動で、仲良くなった中学生の女の子がいた。子どもは小3、友達は中1で、2人には4歳の年の差があったが、活動が終わると、帰り道にある公園でよく遊んだ。

 子どもが初めて「公園で砂場遊びしよ!」と彼女を誘い、「いいよいいよ~。うち結構好きなんだ~」と言ってくれた日をうれしく記憶している。我が子の砂遊びは大抵ケーキ屋さんで、砂場にしゃがんだ二人はどちらからともなく水道から水を取ってきて、砂に含ませる。無言で型に詰めて抜き、を繰り返して、砂場のへりには8つの小さなケーキができあがった。トッピングに木の実や小花を飾ると、私は我が子にお客さん役を命じられ、二人はオープン準備に取りかかる。友達は「店長、写真撮ってインスタに上げときますね!」とジャケットからスマホを取り出し、ケーキを撮影して「うん、映える」と満足げにうなずいた。

 彼女は子どもの送迎で現れる私を見かけるたび、その年頃の子にしては珍しく「やっほー」と気さくに話しかけてくれた。彼女も子どもと同じく不登校で、友人関係が原因で学校が嫌になってしまって、だから外では人から見られたくなくてマスクをしているんだ、友達がいそうなエリアでは自転車を飛ばすんだ、と言っていた。

 何かの折に勉強の話になったとき、普段は変わらぬ笑顔で彼女はこう話した。

「うち、数学ができないから、パパが来た時に教えてもらわないとわからないんだ〜。パパは普段は私がいると仕事ができないから別のところに住んでいて、土曜日だけ来るんだよ」

 そのときの私は、彼女が父親の単身赴任、あるいは両親が別居や離婚を自分のせいだと思い込んでしまっているのだろうか、と考えていた。子どもはそう考えることがあると本で読んだことがあったからだ。

 しかし、七夕イベントで飾られた子どもたちの短冊を見て考えが変わった。「金持ちになりたい」「スイッチがほしい」「世界平和」などの言葉が踊る中、彼女はこんなことを書いていた。

「バカがなおりますように」

「精神病がなおってふつうになりますように」

 ショックだった。彼女は七夕の短冊に書き付けなければいられないほど、「バカであること」「精神病であること」に悩み、悲しんでいるのだ、と思った。いつも朗らかな笑顔だった彼女が、本当はどれだけ頼りない気持ちでそこにいたのだろうか。

 「バカだ」「精神病だ」と彼女をおとしめたのは、誰なのだろう。親御さんか、先生か、いずれにしても周囲の大人たちだろう。もしクラスメイトだったとしても、その価値観をすり込んだのはクラスメイトに影響を与えている大人たちだ。人は、インプットしたことしかアウトプットできない。

 もう会うことのない彼女を思って、今でもたまに胸が締め付けられることがある。


 ほとんどの子どもは大人の価値観に屈服している。多くの大人が強いる理不尽に、屈服させられている。

 例えば、子どもが地域の少年サッカーチームに入っているという学生時代の友人は、チーム内に未だはびこっている根性主義に辟易していると話す。特に、コーチも監督もサッカー経験のある保護者という座組が、古い価値観を温存してしまうと感じているらしい。

 親世代は「しごかれて無理もしたけれど、そのおかげで上手くなった」という成功体験を持っているので、子どもの年齢に合わないハードな練習を強いたり、失敗した子どもを乱暴にどやしたり、けなしたり、罰を与えたりするという。それが続くので、子どもたちのあいだにも、「ミスする子どもはダメなやつだ」というムードが生まれてもくるのだそうだ。同じような話は、少年野球や地元のバスケットボールチームに子どもを通わせる親御さんからも聞く。

 これは、私がたびたび仕事で聞いたり書いたりしてきた、企業におけるパワハラの話と同じではないだろうか? 長時間労働や残業を強いたり、強い口調で怒鳴りつけたりする管理職像が思い浮かぶ。

 コーチや監督の振る舞いの裏には、さまざまな要因があるのだろう。大人もインプットしたことしかアウトプットできないのだろうし、子どもに成功体験を味わわせたいという気持ち、子どもの成長に関わる存在としての責任感と不安、弱い存在をコントロールしたいという支配欲求、そんなものがない交ぜになっている気がする。

 そう思うのは、自分自身もパワハラめいた振る舞いをする瞬間があると自覚しているからだ。例えば、子どもが宿題のドリルで問題をろくに読まずに間違えたり、同じ間違いを繰り返したりすると、体がざわざわとあわだち、語気がだんだんと荒く冷たくなってしまう。そんな状態で間違えた箇所を説明しても、子どもは恐怖で思考停止に陥るだけなのに、荒ぶる自分を止められない。

 冷静になればわかるのだ。楽しさや喜びがベースになければ、試合に勝っても、テストで100点を取っても、志望校に合格しても、給与の良い企業に就職しても毎日はつらいはずだ。でもついつい、自分がかつてインプットされてきたプレッシャーが、そのまま出力されてしまう。

 私を含め、今子どもたちに接する大人たちは、アウトプットを変えられるように、子ども自身が人生を楽しみ生きられるような言動とは何かをインプットしていく必要があるのだろう。子育てのハラスメント研修である。

 ただ、現実での言動を変えるのは難しい。それなりに本を読んだり講座を受けたりしているが、未だに間違いを犯して、罪悪感に駆られ、子どもに謝る日々だ。しかしながら、将来子どもには「子ども時代を楽しんだな」と思ってもらいたい。そのために、ハラスメント研修を続けるのである。

<参考文献>

「負けた罰で走るなら」中学生のヒデ、私を変えたひと言.朝日新聞.2021-03-21,朝日新聞デジタル,(参照2026-02-18)

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