今治くんは、いつも仕事をさぼっている。

とある喫茶店でバイトをしている女性の物語。私が見てきた世界の話。
有馬ゆえ 2021.04.16
誰でも

こんにちは。待ち望んだ新緑のまぶしい季節がやってきました。みずみずしくきらめく若葉のトンネルが大好きで、この時期はつい足を伸ばして散歩したくなります。

今回は、書き始めてみたら一編の掌編小説になりました。どうぞお付き合いください。

***

今治くんは、いつも仕事をさぼっている。

今治くんは、マスターが知人の喫茶店からスカウトしてきた“大型新人”だ。絵になる写真を撮るのが得意で、前の職場と同様、うちの喫茶店のインスタグラム担当として毎日、クリームソーダやナポリタン、パフェなんかの写真を撮って、いいかんじにアップしている。

彼自身のアカウントはフォロワーも何万とかだそうで、うちの店にもたまにファンがやってくる。確かに写真も文も雰囲気があってうまいのだけど、業務時間内であっても何かとスマホばっかり観ているのがイライラする。

マスターいわく、知人に義理立てしたため、前の職場インスタグラムは継続して今治くんが担当しているらしい。だが、私が見る限り、彼はその任務を全うしているというより、仕事もしないでネットで遊んでばかりいる。右手の人差し指を忙しく動かして、InstagramやらTwitterやらTikTokやらYouTubeやらを縦横無尽に行き来して楽しんでいる。音も出さずに動画を見るなんて器用だな。ほめてないけど。

マスターは、そんな彼を見て見ぬふりして、「男って若いときはあんなもんだよ」とかいって微笑んでいる。なんでも、彼を見ていると20年ほど前、自分の若い頃を思い出すのだそうだ。センスがあって本気出したらすごそうだけど、やる気のないことには本気は出さない。テストの平均点がいつも45点の人がたまに100点を取ったらすごく褒められるみたいな感じって、がんばってコンスタントに85点を取っている自分がバカバカしくなる。

同時に、若手スタッフに過去を投影して、自分を肯定できるマスターをうらやましくも感じる。才能があって軽薄でちょっとやんちゃで人たらしで。そうやってうまく渡り歩いてきた自分が好きなんだろう。シフトの5分前にホールに入ってすべてのテーブルを拭き直す齊藤くんのことを「真面目さがお前のいいところだよな」って褒めるけど、マスターが好きなのは俄然、たまにしか役に立たない今治くんの方だ。

でもきっと齊藤くんが将来、お店でも持ったら、二人はビジネス的にいい関係かなんかになっちゃって、一緒にイベントをやったりして、マスターはシフト5分前に机を拭いていた話をして、齊藤くんは今治くんへの嫉妬も忘れて「あのときマスターに拾ってもらったから今がある」とか話すんだろう。齊藤くんがこの店でバイトを始めた当初、私に毎日「マスターに評価してもらえない」と相談LINEを送ってきていたことなんて、なかったことになるんだろう。脱力。

マスターは人付き合いもうまいし、頭もいいし、いろいろなことを知っていて話も面白いし、経営もそつなくこなすし、なによりコーヒーを入れるのがめっぽううまい。私は彼のことを尊敬しているけれど、ときおりここで働くのがむなしくなる。

マスターは私のことをかわいがってくれているのだと思う。コーヒーのいれかたがバイトで一番うまいといってくれるし、豆選びにも同行させてくれる。毎月行われる飲食メニューのコンペでも採用されることが多い。

だけど私がつらくなるのは、それ以上の重みを背負わされている気がする瞬間だ。例えば、マスターと考え方が合わずバックヤードで「もうやめる」と泣き出す京子ちゃんをなぐさめ、励まし、引き留めているとき。メンタルを病んで家から出られなくなってしまった長嶺くんにLINEして、フォローして、ついでにシフトの調整をしているとき。それらの行為は確かに望んで始めたものなのに、首にズンと重たいものがのしかかる感覚がある。

マスターはいつも「俺は鈍感で気がつかないから助かるよ」と私に感謝をする。マスターのパートナーも「彼は鈍感だから」と言っていた。でも経営者なんだから、従業員のケアをするのは彼の仕事なんじゃないだろうか。私は別に経営者でもマネージャーでもなく、京子ちゃんや長嶺くんと同じバイトだ。自分だったら耐えられないと想像して、つい彼女、彼を気遣ってしまうだけなんだけど、表面上の感謝だけでやりすごされるのもモヤモヤする。

鈍感さは変えられないのだろうか。以前、マスターが「俺は空気を読めないんじゃなくて、わざと読まないんだ」と話していたことがある。そういえば、今治くんもすごく鈍感だ。だって、他人の目線も気にせず、給与を支払ってもらっていることにも無自覚に、自分の好きなことばっかりしているのだから。

あ、いらっしゃいませ。ハマさん、おひさしぶりです。あ、それ、例のグループのTシャツですね。ほんとだ、かわいい。今日もブレンドでよろしいですか? かしこまりました。少々お待ちください。

ハマさんは、週刊誌を中心に活動しているカメラマンだ。学生時代から女性アイドルを追いかけ続けてきて、彼が言うには“夢を叶えたオタク”らしい。既婚だが子どもがいないこともあって、今も毎晩のようにアイドルの現場に通っている。仕事では若い女の子ばかりをアシスタントにつけていて、よく一緒にくる上石さんも有能そうな女性だ。上石さんは女性スタッフの姉御みたいな立場で、ハマさんが週刊誌でやっていた男性アイドルの連載を見て弟子入りしたのだという。女性スタッフはみんなハマさんの才能に憧れつつ、文句があればみんなでわいわいと陰口をたたいているらしい。身を寄せ合っておしゃべりでストレスを散らす感じ、よくわかる。

実は私にも心底好きな女性アイドルグループがいる(その中に大切な推しもいる)のだが、ハマさんとその話をすることはめったにない。マスターには「アイドル好き同士、なかよくすればいいじゃん」と言われるが、ハマさんは私みたいな女が嫌いなのだ。

私はハマさんみたいにアイドルの歴史や文脈に詳しくて、自分の解釈で物語りたがるタイプじゃないし、プロデューサーがどんな意図で女の子たちを動かしているかという分析にも興味がない。彼女たちは、いわば私たちの戦友なのだ。この苦しい現実に負けずに、自分の能力を信じて努力する。40代になってもモテに未だ執着し続けるハマさんは、その姿をまぶしすぎて直視できないだけかもしれないけれど。

今治くんがいれたブレンドをハマさんにサーブすると、扉を開けてやってきた金子さんが見えた。いらっしゃいませ。先日は、ごちそうさまでした。

金子さんは大学の准教授だ。一度、古い映画について盛り上がったのをきっかけに、本や映画について話すようになり、カルチャーへの造詣の深さと偉ぶらない態度を尊敬するようになった。でもその尊敬は、すぐに覆った。何度か本の貸し借りをして、君は鈴木いずみみたいだなんて言われて、一緒にお寿司を食べに行くことになって、お互いの話をして、楽しくお酒も飲んで、私が酔い覚ましに歩いて帰ると伝えたら、自分もそうしたいと彼は言い、深夜の散歩をすることになって、夜道の暗がりで肩を抱かれ、「妹みたいで放っておけない」とだきしめられて、キスされそうになったからだ。

私はそれを笑って交わしたけれど、心からショックだった。そうか、私はそういう目で見られていただけなのか。まあそうだよな、と悲しく納得した。それでも彼は世間から評価されるし、私はただの喫茶店のバイトだ。

「おい、ちょっと!」

窓際に座った30代半ばぐらいのビジネスマンが私に向かって手を挙げ、指の先をせわしなく動かしてこっちに来いと言っている。急いでかけつけると、コーヒーが渋すぎて渋すぎて飲めないという。深く頭を下げて謝るが、つばと文句を飛ばしてくる。せっかくの午前休が台無しだ。こんなまずいコーヒーで金取るなんて、客をナメてるのか。昨日、遅くまで飲んでたから疲れてるのに。男は理論的、女は感情的とかいうけど、彼は気持ちと言葉を止められないみたいだ。だから、スマホ片手に仕事をしている大型新人にコーヒー入れるのをもう任せていいってマスターが言ったとき、反対したのに。彼らのミスをかぶって私が怒られるのは、何度目だろう。

あわててマスターがふっとんできてさらに深く頭を下げ、丁重にお詫びの言葉を述べると、ビジネスマンは息をのみ、急に「別にいいんですよ」と冷静を装った。なんで男の人が出てくると、場っておさまるんだろう。何の関係もない私だって、一生懸命謝ったのに。

カウンターのなかに戻りながら、マスターがニヤニヤしながら口を開く。「また今治か~。才能あるのに、こういうとこホントにもったいないよなぁ」。思わず、マスターの顔を見る。マジか。これが現実か。

あーあ、やんなっちゃうな。この間の面談で「今治のやる気を出すために時給上げてやりたいから、今年はその額で我慢してもらえないかな? ごめんね」とか言われちゃったから、たぶんもうしばらくお給料は上がらない。すでに1年、京子ちゃんのモチベーションを上げるために、その額で我慢し続けてきたのだ。

喫茶店の仕事は大好きだし、将来の夢のために勉強できることはまだあると思うけど、もうここで働くのは限界かもしれない。だってマスターには、今治くんの才能は見えても、私の感じている重みや苦しみは見えないんだもの。私の居場所は、いったいどこにあるんだろう。

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