ロワイヤル・ポッシュ

生まれ育った国も言葉も違っても人はわかり合えるんだと知った夜
有馬ゆえ 2026.04.24
誰でも
photo:yue arima

photo:yue arima

 こんにちは。ライターの有馬ゆえです。大好きな新緑の季節がやってきたよ。

 今回は、20歳でフランス・パリに短期語学留学をしたときの、ある経験について書きました。諸事情により1998年当時に撮影した写真がなく、記事内では2002年頃の写真を使用しています。

***

photo:yue arima

photo:yue arima

 異なる国の人とも心が通じるんだと知ったのはいつだっただろうか、と考えていて、ある夜のことを思い出した。19歳のとき、冬に1カ月ほどパリへ語学留学をしたときのことだ。

 私は大学の国文科に通っていたが、英語を学ぶのはもう嫌で、人と違うことをしたいというひねくれ心もあり、第一外国語にフランス語を選択していた。

 パリに留学することになったのは、大学の友人の影響だった。その友人は英語もフランス語もでき、長期休みの度にチケットを取って一人でフランス、イギリス、アメリカなどへ旅行や留学に出かけていく人だった。東京の私立中高でぬくぬくと生きてきた私は、そんな友人に臆病者だと思われたくなくて、はっぱをかけられるがままに、アルバイトでお金を貯めて短期の語学留学をすることにしたのだ。1998年というインターネットの情報も乏しい時代にどうやって留学情報を得たのかも、通った語学学校の場所や名前もさっぱり覚えていない。

 語学学校は、よく映画で見るようなパリらしい建物のワンフロアにあった。どっしりした石壁に重たい木の扉を開けてらせん階段を上ると、狭い教室が5つぐらいあり、私はその一室で初心者向けのフランス語を学んだ。

 クラスに通っている間、私は語学学校と契約している13区のアパルトマンの一室に滞在した。これまた絵に描いたような古いパリのアパルトマンで、エレベーターがなく、らせん階段の踏み板は住人の往来で下の階に行くほど角が丸くすり減っていた。部屋は3階だっただろうか。シャルル・ド・ゴール空港からタクシーでアパルトマンまでたどり着き、母から借りた大きなマスタード色のトランクを持って階段で上がらなければならないとわかったときは絶望した。

 アパルトマンの部屋は、留学生3人が滞在できるようになっていた。私を迎え入れてくれたのはルームメイトの女性で、私は生まれて初めて外国の人と「Nice to meet you」みたいな教科書通りの英語の挨拶をした。そして狭い室内を案内すると、彼女は「今トイレが壊れている」と教えてくれた。玄関近くにある小さなトイレは、入ると確かに悪臭がした。

 「ヤスナ」という初めて聞く名前の彼女は25歳のアメリカ人だった。明るくカラッとした性格で、いつもリュックサックに2リットルの水道水を入れたペットボトルを持ち歩き、せわしなくどこかに出かけていった。これがアメリカ人か、と思った。

 ヤスナは、初めて出会うベジタリアンでもあった。ある日、共用のキッチンで彼女が何かを作っているので「それは何?」と聞いたら、「ベジバーグだよ、食べてみる?」と質問された。小判形の「ベジバーグ」は灰色でいかにもおいしくなさそうだった。興味がわいて、一つもらうと、案の定、なぜ食べているのか不思議なぐらいおいしくなかった。

 大して覚えていることもないと思っていた4週間の留学生活だが、書き始めてみると意外と記憶に残っているものである。

モンマルトルからの眺め。photo:yue arima

モンマルトルからの眺め。photo:yue arima

 最初の週、語学学校の初心者クラスはドイツから来た18歳の男の子と私の二人きりだった。何かの本で読んだとおり彼は鼻と背が高く、ドイツの人は本当に鼻と背が高い、と思った。身長157センチの私が彼を見上げると、鼻の穴が細長い二等辺三角形をしていて驚いた。

 彼は、親に勝手に留学を決められて嫌々語学学校に通っているとかで、毎日何かと文句を言っていた。だらしなく椅子に腰掛け、フランス語の単語を聞かれては、英単語をフランス語っぽく読む、ということで乗り切ろうとするのが面白かった。彼が講師から嫌みを言われているのを横目に、英語とフランス語の単語はこんなに似ているんだなあと感心した。

 親への不満と新しい言語を学ぶフラストレーションを、彼は同じクラスにいるちびのアジア人、つまり私にぶつけた。いじわるに唇をとがらせてで私の間違いを繰り返したり、「日本人は誰も彼も鼻が小さくて目が細くて髪が黒くてつまらない」などと子どもっぽく攻撃するのだ。しかし私は臆病者で、よく知らないでかい体のドイツ人に言い返すことなどできなかった。そんな私を、講師の女性は「コイツ日本人だな」というようなあきれ顔で見ていた。

 二週目以降はクラスメイトが増えた。明るく朗らかでやっぱり背が高いドイツ人の青年、同じくドイツから来たかっぷくのいい40代のおばちゃん、パリに住むフランス人の男の子が日本留学中に恋に落ちたという日本人大学生の女の子、アメリカ、韓国などから来た人たちもいた。

 別の部屋で開講しているパリでファッションを学ぶ人たち向けのフランス語クラスには、日本人の女の子たちのグループがいた。休み時間になると、当時原宿や渋谷、代官山で見かけたような『FRUiT』的な世界観、あるいは『装苑』的な世界観の個性的な同世代女子たちが、廊下でパワフルにたむろしていていた。

 だが、その中の誰一人として、私は友達になれなかった。たとえ会話が始まっても何をどう話して良いのかわからず、学校で勉強したはずの英語すら出てこなかった。19歳の私はとにかく怖がりで、内向的で、勇気も社交能力もなかった。

 そもそも、何が何でもフランス語を習得したいという情熱もなかったのだろう。私の語学習得はクラス開始何日か後に「Je peux?(~していいですか?)」という便利なワードを知るところでほとんど終わり、その日以降は、放課後に「Je peux?」を駆使して街のギャラリーや美術館を巡ることが生活の中心になった。そういえば、偏頭痛があったので「mal a la tete」(頭が痛い)も覚えて便利に使った。そして、ディスコに行こうとかアッパーな誘いのほとんどを断った。

ピカソ美術館。photo:yue arima

ピカソ美術館。photo:yue arima

 そんな私が一人だけ親しくなったのは、最終週にルームメイトになった20代後半のドイツ人女性だった。物憂げですらりと背が高く、ドイツの人はやはり背が高いんだな、と思った。

 帰国する直前のある夜のことだった。リビングで二人きりになった私と彼女は、白熱灯の明かりのもと、ダイニングテーブルに向かい合わせになってなんとなしに話し始めた。

 彼女は、ドイツ語以外はほとんど話すことができなかった。語学自体が苦手なようで、フランス語の学習にも嫌気がさしているようだった。だが、日本語話者の私とドイツ語話者の彼女とのあいだには、フランス語しか共通の言語がない。私たちは、つたないフランス語で互いについて話すことになった。

 彼女はドイツのベルリン出身で、大学でアートと哲学を学んでいるそうで、その専攻分野や興味のあることについて話してくれた。ドイツでは大学で二つの専攻を持つものなのだと言われ、とても驚いた。

 彼女の内省的な部分に共鳴し、私はその頃、夢中になっていた写真について熱心に話をした。トランクの隅で眠っていた自分の作品集を見せると、彼女は「とても好きだ」「すばらしい作品だ」と1枚1枚に感激してくれた。私の心は、異国の地で初めて理解者を得たという喜びで満たされた。

 言葉を交わすほどに、話したいことが湧き出した。互いの部屋から持ってきたポケット版の和仏・仏和辞典と独仏・仏独辞典を使い、自分の伝えたいことを母国語で引き、それを意味するフランス語を相手に見せ、相手が母国語に翻訳して理解する、というまどろっこしい方法で、私たちは一生懸命に会話した。私も彼女も、自分の気持ちを正確に伝えたかったし、相手のことをわかりたかったのだ。だいだい色の明かりに照らされた、手のひらサイズの辞典「ロワイヤル・ポッシュ」。その乳白色のページの手触り。

 あれから30年近くが経った。今になって、もう少し早く彼女と出会えて、大好きになったピカソ美術館やヨーロッパ写真美術館、ダリ美術館に行ったり、モンマルトルやマレをぶらぶら歩いたり、夜にピカピカと点滅するエッフェル塔を見たりできていたら、と想像する。

 彼女とは連絡先を交換したが、日常生活に戻った私たちは次第にメールを送ることもしなくなってしまった。きっと、もう一生会うことはないだろう。

 でも、彼女と一瞬が心が交わったあたたかい夜の喜びは、私の胸でずっと小さく灯っている。そして、生まれ育った国や言葉が異なる人とだってわかり合えるはずだ、と信じる私を支えてくれている。

***

 ご意見、ご感想、ご相談、ご指摘、雑談などあれば、このレターに返信するか、コメント欄にお寄せください。コメント欄は、「書き手のみに公開」も選択できます。読者登録していただければ、更新のたびにメールで記事が届きます。

 どうぞみなさま、おだやかな週末を。

 

無料で「ぼんやりスコープ」をメールでお届けします。コンテンツを見逃さず、読者限定記事も受け取れます。

すでに登録済みの方は こちら

誰でも
私たちの、あのポテト
読者限定
不登校を手をつないで歩いた
誰でも
「バカがなおりますように」
誰でも
かぎ編みと四十肩(2)
誰でも
かぎ編みと四十肩(1)
誰でも
さとこみんなのクリニック(2)
誰でも
さと子みんなのクリニック(1)
誰でも
私、やっぱり女性ホルモンに支配されてた(3)