私たちの、あのポテト

photo:yue arima
こんにちは。ライターの有馬ゆえです。新年度ですね!
今回も、前回のレターに引き続き、学校に行かない子どもと過ごした濃密な毎日について書きました。今も鮮やかに思い出せる子どもとの普通じゃない日々の出来事。
あのちゃんの『スマイルあげない』という曲に、お昼にテレビを見ながらポテトを食べた、という内容の歌詞がある。これは不登校だった時期のエピソードなのだと、あのちゃんがテレビ番組で話していた。母親の運転する車で学校の前まで行ったものの、その門をくぐることができず、帰りにマクドナルドのフライドポテトを買って、みんなが給食を食べている時間に食べたのだそうだ。それが、大人になった今でも忘れられないのだという。
小1から小3まで学校に行かなかった我が子に、あのちゃんのそれと似た記憶があるのかは分からない。だが親側の私には、あのポテト、のような話がたくさんある。
例えば、二人で手をつないでおしゃべりした教育支援センターまでの道。嘘みたいな花吹雪のなかを抜けたり、暴風雨で傘をおちょこにしたり、一つの日傘に入ってパピコを半分つして食べたり、子どものかじかんだ手を私のダウンのポケットで暖めたりした。
一緒に歩いていると、我が家の子どもはいつも「○○のお話しして」と言ってくる。毎日だ。子どもとお気に入りのぬいぐるみの話、ポケモンの世界の創作話、ドラえもんの世界の創作話、伊藤潤二の双一シリーズの話など、リクエストされては、苦しみながら物語をひねり出したが、内容はよく思い出せない。夫は話のネタが尽き、条件を入力してAIが物語を生成してくれる「HANASY」というアプリを使っていた。
一人で歩いて登下校している同じ年齢の子どもたちと比較して、我が子が自立できなかったらどうしようと不安だった時期もあるし、毎日の送迎はときに面倒でもあった。
だが途中からは、思春期にさしかかれば勝手に親の手を離して行くのだから、子どもが私の手を握ってくる今の時間は、神がくれたギフトなのかもしれないと思っていた。神を信じたことなどないのだが。

秋。photo:yue arima

雪の日、雪だるまを作ってから登所。photo:yue arima
それ以外の話も聞いてもらっていいですか?
学校の体験授業がないからと、私たちは月に1度か2度は美術館や博物館に出かけた。絵画を見たり、展示を見たり、剥製を眺めたりして、何かを食べる。上野公園の噴水近くに座って食べた、お赤飯のおにぎり。東京都美術館の上にあるカフェ・アートの、クリームソーダやホットドッグ、クラムチャウダー。
映画も観に行った。残暑厳しいある日、『ミュータント・タートルズ: ミュータント・パニック!』を観に行ったこと。上映時間に遅れそうで、片手に日傘、片手に子どもの手を握り、池袋の街をひた走った。無事間に合って、私たちは売店で買ったあつあつのチョコレートチュロスをかじりながら、ガラガラのシアタールームで上映を待った。斜め前に座っていた、未就学児の親子連れ。鑑賞後、ABCマートで子どもの新しい靴を買ったこと。
品川で『マイ・エレメント』を観た時は、排除される火のエレメントたちに自分たちを重ねて泣いた。帰りの電車で子どもに「お母さん泣いてたね。いい話だったけど、うちは泣くほどじゃなかったな」と言われたこと。この子は自分が今排除されていると感じてはいないのか、それならいいな、と願ったこと。
駅前で、ホームレスの人から『BIG ISSUE』を買ったこと。『BIG ISSUE』が売り手の人への支援になると説明したら、子どもが「次は自分もお金を出す」と言いだし、次号は割り勘で買ったこと。
行ったことのない公園や図書館へもたくさん行った。花や草や虫。落ちている栗のいがを踏んで剥がし、「やり方、『よつばと!』に書いてあった」と言っていたこと。

こちらがいがの中に入っていた栗。photo:yue arima

鎌倉の海。photo:yue arima
鎌倉の晴れた海で、二人で貝拾いをした。波打ち際で遊ぶ子どもを、レジャーシートに座ってぼーっと眺めた。日差しが強くまぶしかった。モーターパラグライダーをしにきたおじさんがいて、上空を飛んで見せてくれた。青い空に吸い込まれるように飛び上がったときのバラバラというけたたましい音に、すごくびっくりした。鼻をついたガソリンの強い匂い。
夫の取材にくっついて国際福祉機器展に行き、障害や病気のある人たち、介護状態にある人たちのさまざまな困難に触れたこと。子どもが、ePARAに所属する全盲のeスポーツプレイヤー江頭実里さん、NAOYAさんとゲーム『ストリートファイター』で遊んでもらい、久しぶりに「すっごく楽しかった」と声を弾ませたこと。
東京都の不登校の子ども向け体験プログラムで、子どもは「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」を気に入って何度も体験していたこと。それを待っている間、東京湾を眺めながら小学校の担任の先生に近況報告をしたこと。終了後、及川美紀さんが子どもに優しく話しかけてくださったこと。

竹芝からの眺め。photo:yue arima
教育支援センターに入って最初の面談で、センター長の先生は「すばらしいんですよ。私が、中学生とやってる社会を『一緒にやらない?』って聞いても、『いいです』って断るんですよ。自分で決める力がある」と子どもを褒めてくれた。
お迎えの道すがら、教育支援センター近くの大通りが白い煙に包まれていたときの不安さ。サイレンの音で、火事だとわかった。通り沿いに止まった何台もの消防車。強い風が煙をまき散らし、むせるような煙臭さに襲れて不安が増した。
子どもの友達に会わないように遠回りをして帰ることが、つらかったこと。近所の図書館にも公園にも行くことができないなら、いっそ引っ越してしまいたいと思っていたこと。
仕事がほとんどできなくなって収入が激減し、教育支援センターの先生の「ドリルを買ってください」という言葉すらきつかったこと。都営住宅、区営住宅に申し込みをしようと資料を揃えたほど切羽詰まっていたこと。

帰り道の日差し。photo:yue arima
教育支援センターの1階にあるソファで、私はいつもお迎えの時間を待ちながら、一人でDuolingoをしていた。校庭の向こう、校舎と隣家のあいだからガラスのドア越しにまっすぐ差し込む西日。時折、外に目をやっては、イエローオレンジにきらめく光の世界にまつげ越しでしばし溺れた。
転校する直前、教育支援センターをやめる子どもに、同じ教室で過ごしていた上級生と下級生が、それぞれあたたかいお別れの手紙をくれたこと。何かを一緒にすることがほとんどなくても、同じ場所で顔を合わせる我が子に絆を感じてくれていた人がいたことに、胸が熱くなった。
すべてすべて、確かにあったのに、物語の中のいちエピソードみたいだ。喉元過ぎれば熱さ忘れるとはこのことで、つい1年前のことなのに、一区切りが着いた今となっては、不登校の日々はそのぐらい遠くにある。当時の私が今の心境を知ったら、怒り出すだろう。
この濃密な毎日は、私には貴重で意味のある経験だった。これまで述べたすべてのことが、大切な思い出だ。きっと忘れることはないだろう。
でも、子どもはそんなふうに捉えなくていい、と思っている。
あのちゃんは、家でフライドポテトを食べた不登校時代の複雑な思いを歌にして、それはマクドナルドのタイアップ曲になった。そんなきれいな結実は、してもいいけど、しなくていい。できれば、これから起こる出来事にかき消されて特別じゃない記憶になってほしい。もちろん、忘れてしまっても構わない。
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