すっかりママになっちゃって

母親になったことを侮辱された夜のこと。
有馬ゆえ 2022.03.04
誰でも
photo:yue arima

photo:yue arima

こんにちは。

あっという間に今年も3月ですね。子どもが就学するこの春を感染症と戦争とともに迎えることになるとは想像もしていませんでした。彼の地の争いと目の前の日常のギャップを埋められないまま、毎日を過ごしています。募金ぐらいしかできない我が身の無力さよ……。

さて今回は、ある夜の忘れられない屈辱的なセリフと後悔の話です。私の使命感を作っているのは、後悔の数々なのかもしれません。

***

何年か前、知人に後輩を紹介する機会があった。知人は20代のころに仕事で出会った男性で、彼の組織で人材募集をしていて、その候補の一人として私の後輩の女性をに会ってみたい、という話だった気がする。

「カジュアル面談ってことで」という彼の言葉を受け、後輩が予約を入れてくれたのは、広尾のイタリアンレストランだった。カジュアル面談だなんて、根無し草フリーランスの私には初めて聞く言葉で、へ~おもしろい、どんな話するんだろ、と興味本位で同席することにした。

子育てを初めて1、2年という時期だった。書く仕事をガリガリしたいという熱もありつつ、私はすっかり家族での生活にハマっていた。平日の夜に仕事の知り合いと食事をするなんてひさしぶりで、ウキウキとその場に向かったのを覚えている。

一番に店に着き、直前まで会社にいる二人はきっとギリギリにやってくるんだろうな、と懐かしくなった。外出するほんの1分前まで仕事をして、ああもう時間だ、と勢いよくパソコンを閉じ、かばんをつかみ、急ぎ足で家を出る。かつて何度もくりかえした所作を頭に描いていると、後輩がやってきた。

わあ、会えてうれしい。今日もおしゃれだし、媚びない雰囲気が素敵。顔が緩む。「ひさしぶり~!」。わいわいとあいさつを交わし、知人が来る前に、と私がトイレに立つと突然、彼女が興奮した声を挙げた。

「エアリフト!」

わーん、よくぞわかってくれた! そうなの、私こないだNIKEの白いエアリフト買ったばっかりで、めちゃくちゃお気に入りなの。ああ、来てよかったな、私たちにはまだ共通語があるんだ、とよろこびがこみあげた。

「ごめん、少し遅れます」というメッセージが入り、彼が店に入ってきたのは約束の時間の20分後だった。ひょうひょうとした顔で席に着き、彼は私の顔を見ると、開口一番こう言った。

「あー有馬さん、すっかりママになっちゃって」

言葉を受け止めきれず、体が固まる。浮ついていた気持ちが、スーッと冷めていく。よくまあそんな悲しい言い方で、人を馬鹿にできるものだ。そうか、私は仕事仲間として呼ばれたわけではなく、いわば、おみそとして参加させてもらえただけだったのだ。かくれんぼも、鬼ごっこも、もちろんカジュアル面談とやらも、ルールどおりはやらせてもらえない未熟者。

彼はもともとの才能を発揮しているのだろう。今の組織で、リーダーとしてかなり期待されているようだった。あの頃みたいに数万円じゃない、自分の力で何百万円、何千万円を動かしている、と誇らしげに眉毛を上げた。年上の著名人から個人的にコンサルを頼まれていて、昨日も遅くまで飲みに付き合っていた、とも。

私が知っている彼は、自身の出自やコンプレックスと戦いながら人生を模索している人だった。人の威を借りて大金を動かす万能感に頭をやられるタイプではないと思っていた。なのに、経済とやらを回す楽しさに目覚めた彼は、日本のマジョリティ男性として胸を張り、大きな口を開けて笑っていた。

この人に彼女を紹介して大丈夫なのだろうか――。よぎった不安を、私はすぐに打ち消した。いや、彼女も彼の組織に興味を持っていたのだ。今後、何かあったときに全力で彼女を支えよう――。そうやって自分に向かって言い逃れをした。

あの夜はおかげで飲みすぎて、不本意にも二人に介抱され、タクシーに乗せてもらった。

ごめんごめん、ありがとう、ありがとうと作り笑いで手を振り、二人の姿が見えなくなった途端、涙が出てきた。

母親になった私は、二級市民なのか。黒い夜の山手通り。街灯とビルの窓の白い明かり、赤く尾を引くテールランプ。仕事ばかりしていた時代によく見ていた光景が、よけいに悲しくさせた。

結婚し、子どもを持ち、好きな仕事をしている私は、とても恵まれている。でも一方で、私は自分の持たぬ物をまだどこかでうらやんでいる。家族と過ごす人生の豊かさを知ってなお、体のどこかにこびりついている、稼いでいるのが偉い、知名度があるのが偉いという資本主義的な価値観がうずくことがある。

「すっかりママになっちゃって」

彼は、私の雰囲気が変わったことに戸惑い、ついそんなふうに口走ったのかもしれない。私がただ劣等感から卑屈な思いを抱いたのかもしれない。しかしどちらにせよ、根底にあるのは、社会が母親を軽んじているという事実だ。

彼にも、私にも問いかける。すっかりママになっちゃって、何が悪い。

私は、彼にそう自信を持って言い返すべきだった。あなたたちは馬鹿にするかもしれないけれど、生命を産み落とし、それを維持するという大仕事を、私たちは毎日がんばっているんだ。それはあなたが今誇っている仕事と同じぐらい価値があって、立派で、緊張感が高く、経済的なパフォーマンスも上げられる、社会的な仕事なんだ。そういう顔をしていなければならなかったのに、どうしてそれができなかったんだろう。いつか母親になるかもしれない、後輩の前で。

あの夜の屈辱的な気持ちと後悔を思いだしては、心に誓い直す。私は、後に続く女の子たちをこうした侮辱から守るんだ。希望をただ託すのではなく、肩を抱き、攻撃の刃から守っていく。そのためにできることを日々、やるんだ、と。

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