さいしょののりものベビーカー

子どもが6歳になった今年、ベビーカーをようやく手放しました。
有馬ゆえ 2022.09.09
誰でも
photo:yue arima

photo:yue arima

こんにちは。ライターの有馬ゆえです。

残暑ですね! こんなに湿気がきついのに読んでくださって感謝です。今年の夏は、更年期にさしかかったせいか首のあたりの汗がひどく、流行りに乗って入手したアイスリングに助けられました。NSAが開発した技術を応用してどーのこーののアレ。友人は熱帯夜対策にもしたらしい!

さて今回は「さいしょののりものベビーカー」。子どもが生まれてから3年以上、みっちりお世話になったベビーカーの話を書きました。

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ベビーカーが好きだった。

子どもが赤ちゃんのとき、だいたい毎日ベビーカーを押して散歩をしていた。最初こそ自分+ベビーカーの長さで移動する身体感覚に戸惑ったが、次第にその虜になった。

用事があるとき、子どもを昼寝させたいとき、手持ち無沙汰なとき、ただ散歩したいだけのときも、私はベビーカーに子どもと荷物を載せ、いろいろなところへ歩いて行った。身につけるのは小さなボディバッグぐらい。子どものときのように軽装で歩きまわるのが楽しかった。すいすい、すいすいとどこまでも行ける気がした。

ベビーカーには、寝かせるタイプの「A型ベビーカー」と、腰が据わってから使うリクライニングチェアタイプの「B型ベビーカー」、A型からB型へとトランスフォームできる「AB型ベビーカー」というのがあり、私が愛用し倒したのはアップリカのマジカルエアーというB型ベビーカーだった。

タイヤがプラスチックでガタガタはするが、その分、重さ3kgと軽いのが気に入っていた。持ち手の部分をつかんで持ち上げると、がしゃんと気持ちよくたたまれ、すっと自立するのもいい。がしゃーん、すっを初めてアカチャンホンポで体験したときは、そのスムーズさに「かっこいー!」と感動した。たかが2、3年使うもののために技術力が詰め込まれていることに、私たちの時間はきちんと社会から重要視されている、と感じられてうれしかった。

雨カバーを買い、日よけを買い、持ち手に荷物をかけるためのマジックテープで着けるフックを買い、便利にカスタマイズした。子どもの手の届くところには、出産祝いでいただいたサッシーの蜂の歯固めとあかずきんちゃん&オオカミの人形、海外製のかわいい布絵本をぶら下げた。ベビーカーにとりつける留め具つきの薄がけや毛布などもあって、私は縁に色とりどりのリボンやチロリアンテープがついたタオル地のひざかけを気に入って使っていた。

ポケットのたくさん付いたオーガナイザーをAmazonがサジェストしてきたときには、こんな便利な物があるのか!と衝撃を受けた。ベビーカーの後ろ側に、ベビーマグも、私のマグボトルも、赤ちゃんせんべいも、ハンカチも、ティッシュも、コンデジも、シャボン玉も、砂場道具も、ビニール袋も、非常用グッズも、防災マップも、全部収納できるのだ。私の快適生活が約束されている、と即座にカートに入れた。

赤ちゃんと暮らしていたとき、私は寝ている以外の時間の多くを母であることに費やした。

泣けばかけつけ、おむつをかえ、乳を与え、抱き抱えるのが母1年目の主な仕事であるが、いくら我が子がかわいくても、相手をしたくないときはある。自分のしたいことより、子どものしたいこと。自分の求めることより、子どもの求めること。ベビーカーは、そんな日常を送る息苦しさから私を解放してくれる素晴らしい道具だった。

ベビーカーに子どもを乗せ、共に前を向いて歩く。子は子の興味の赴くままに視線を動かし、私は子のいない視界を生きる。ベビーカーは、私たち親子を別々の人間にしてくれた。子どもを安全に、しかも楽しませながら、自分は別のことをしている、という解放感があった。

本当にいろいろなところに行った。公園も、児童館も、友達の家も、病院も、保育園も、子どもの祖父母の家も、ディズニーランドも、千葉も、北海道も、佐賀も、ベビーカーなしでは行けなかった。

ベビーカーには特有の危険もあった。例えば、ちょっとした道路のでこぼこにタイヤがひっかかって動けなくなったり、車線の多い道路の横断歩道では中州に乗り切れずつんのめって転びそうになったり、持ち手のフックに荷物をかけ過ぎて後ろに倒れてしまうこともある(フックはメーカーでは推奨されていない)。ニュースでは、ベビーカーを邪魔だと蹴られたなんてエピソードも聞く。

怖がりな私は、何かの折に子どもが落ちて怪我をするのを恐れ、どれだけ子どもが泣いて暴れようがベビーカーのハーネスを締めていた。そのうち、子どもは自分で椅子に登り、ハーネスを締めてスタンバイするようになった。乗るときは当然、王様スタイルでふんぞり返っていた。

図書館で借りた絵本『のりもの』(やまだうたこ/ブロンズ新社)で「さいしょの のりもの  ベビーカー」というページを初めて見たときは、ほんとうにそうだ!!!とガーンとなった。少女マンガなら白目になっていただろう。あまりに感銘を受けたので、そのページを拡大コピーをして寝室の壁に貼った。

子どもは、体が入りきらなくなる4歳近くまでベビーカーに乗っていた。

そんな親子ともに愛着のあるベビーカーを、今年やっと手放した。

粗大ゴミにするのはつらくてできず、製造年月日が古いため中古買い取りは難しそうだった。アップリカでのリサイクル回収も残念ながらなかった。同じベビー用品メーカーのコンビでは、2013年にはすでに「エコアクト」という自社ベビーカーのリサイクルサービスがあったようで、出産した当時、エコ意識高くそれを選ばなかった自分にぐぬぬとなった。最終的に、途上国支援のための寄付先に送ることにした。

邪魔だ邪魔だと思いながらも子どもが6歳になるまでベビーカーを処分せずにいたのは、母に「もし深夜に急な病気なんかで子どもが歩けないときに便利だから、しばらくは取っておいた方がいい」と言われたからだ。重くて抱っこできないから、と。

実際に私は、小学校に上がるか上がらないかの頃、ベビーカーで病院に運ばれたことがあったらしい。でもよく考えたら、私をベビーカーに乗せる必要があったのは、母が離婚して1人で子育てをしていたからだろう。母は確かに非力だけれど、パートナーがいたら子どもを背負ってもらえたのではないか。

1人きり、眉根を寄せて顔で小さな私をのせたベビーカーを押し、病院に急ぐ33歳の母が目に浮かぶ。スーパーのカートを小さくしたような、赤いベビーカー。深夜の住宅街に、ぽつぽつとともる街路灯。どんなに心配で、どんなに不安だっただろうか。今みたいに、アプリで自宅までタクシーや医師を呼んだり、オンライン診療をしてもらったりなんてサービスのない時代だ。

私と子どもに私と子どもだけのベビーカーの思い出があるように、母と私には母と私だけのベビーカーの思い出がある。街でベビーカーを見かけるたび、懐かしさに駆られながら、この親子にはどんなさいしょののりものの物語があるのだろうと想像する。

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今回も、読んでくださってありがとうございました。

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