風呂嫌い

お風呂入りたくない。
有馬ゆえ 2022.01.28
誰でも
photo:yue arima

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こんにちは。

年始にかぎ編み棒を手に取った私ですが、マスターする前に練習で心がくじけそうになったため、25年以上ぶりの棒編みに挑戦することにしました。唯一できるガーター編みをちまちまやること数日間。マフラーを完成させると、粗だらけなのによろこぶ子ども。毎日の「あったか~い!」「かわい~い!」に、私のQOL爆上がり。そんなタイミングで下記の動画を教えてもらい、将来は古着屋でいい毛糸のセーターを買ってほどいて編み直すニッティンググランマになりたいと夢見ています。

さて今回は、編み物とは無関係なお風呂について。お風呂に入るのって好きですか? 私は嫌いです。

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「庵野さんと一緒じゃん」

休日の深夜、夫婦で『さようなら全てのエヴァンゲリオン~庵野秀明の1214日~』(NHK)を観ていると、夫が言った。「庵野さんと妻に思わぬ共通点が!」と言わんばかりだが、私の才能をほめている、とかではない。庵野さんと私は、ともに風呂が嫌いなのだ。

「そうなんです」

なんでもない、といった調子で返す。『監督不行届』(安野モヨコ)を刊行当時に買って読んだ私は、それをとっくのとうに知っていたからだ。

幼いころから風呂が嫌いだった。好きだったのは、同居していた祖父が湯船でジャンバルジャン物語(その日に祖父が読んだ分の『レ・ミゼラブル』のあらすじ)を聞かせてくれた保育園時代ぐらいである。一人で入浴するようになってからは、あまりに風呂から出るのが早いので祖母から「カラスの行水」と評されていた。

今は毎日保育園の送迎があるため、夫と娘の名誉のために1日1回、入浴するようにはしているが、歯磨き→フロス→服を脱ぐ→シャワーを浴びて体をザッと洗う→湯船で温まる→顔を洗う→髪を洗う→体を洗いながらマッサージ→髪のリンスと体の泡をすべて流す、などとフルコースこなしてスッキリ眠れる日はまれである。毎日髪を洗うのは夏だけだし、だいたい毎日何かをおざなりにやり過ごしている。

子どもが寝静まった居間で、毎日のように「あー、お風呂入りたくない」とつぶやく私をみて、夫は心底不思議そうな顔をする。彼にとって入浴は気持ちいいものでしかなく、いつだって時間さえあればよろこんで風呂に入りたいのだそうだ。湯船に入るのは気持ちいいし、体や髪を洗うとさっぱりするし、熱いシャワーを浴びながら念入りに歯を磨くのも最高で、なんなら軽石でかかとを削ったり、ちょっとした風呂掃除をしたりするときもウキウキしているのだと思う。

理解できないわけではない。しかし、やりたいかというとやりたくない。

私が風呂に入りたいと思うのは、体や頭のかゆみを解消したいときだけだ。湯船に浸かって温まれば体は冷えないし、こりも疲れも取れるし、よく眠れる。体を洗って清潔にした方がいいのもわかるし、洗いながら泡でマッサージなんかできればむくみも取れる。髪は毎日洗った方が頭皮も髪もコンディションが整う。メイクは落として寝ないと肌荒れするし、歯磨きをサボると朝、口がねばつく。入浴にまつわるあれこれが、結果にコミットすることはわかっている。でも、嫌なのだ。不愉快なのだ。

私の友人にも、思い出せるだけで二人の風呂嫌いがいる。どちらも、さすがに庵野さんのように1カ月風呂に入らず鳥小屋のにおいを発していたことはないが、数日は風呂に入らないことをよしとしている様子で、フリーランスで数日誰とも会わないなんてザラだった独身時代の私も同じように暮らしていた。

友人の一人は、風呂に入るのがめんどうすぎてできないそうだ。髪を洗わないで寝た翌日は、髪をひとつにまとめ、前髪だけ洗面所で洗って仕事に行くと言っていた。わかる。その気持ち超超わかる。私も髪を洗わなかった翌日は、ピチッとひとつ結びにするか、帽子をかぶって出かける。無駄な抵抗だとしても、万が一、だれかが臭い思いをしたら悪いという気持ちからだ。

もう一人は、水に濡れるのが嫌だと話していた。彼女は、自然災害で電車が止まり、数時間歩いて我が家にたどり着いたときも、ガスが止まっているのを知るなり「ならお風呂はいいや」と早々に諦めていた。しかも、体がかゆくて水のシャワーを浴びていた私を「きれい好きだな……」と感じていたというのだ。

では私の風呂嫌いの理由は何なのか。おそらく肌への刺激が嫌なのだと思う。

服を脱ぎ着するときに洋服を滑らす感触が嫌だし、乾いた肌にシャワーを当てるとむずむずする。湯船に入った後に、濡れた肌から体温が飛ぶのが気持ち悪い。顔や体、髪を洗うときは、お湯、メイク落とし、石けんの泡など、次々と異なる感触のものが触れるのが苦手だ。そもそも自分の指が触れるのもうっとうしいので、隅々まで洗う、という行為のハードルが高い。

年を重ねて好きになったこともある。それは、湯船でゆっくり温まることだ。代謝がよくのぼせやすかったためお湯に入ることを毛嫌いしてきたが、体のめぐりが悪くなり、ようやくその楽しさがわかってきたのである。あたたまりながら読書をしたり、映画を観たりするのは至福だし、何より翌日の体調が全然違う。

ただし、それも精神的な余裕があるときだけだ。気持ちが塞ぎがちなときはとくに、居間からわずか10メートルの風呂まで歩くのもおっくうになる。嫌なこと、うまくいかないことがあったときだけでなく、生理前や生理中、気圧の変化が激しいとき、日照時間の短い冬もダメだ。

どうしてもダメなときは、せめて口ぐらいゆすごう、とのろのろ洗面所に向かう。子どもには毎日、風呂に入れ、歯を磨けとやかましいくせに、自分は言い訳程度にぶくぶくうがいだけして布団に入る。翌朝シャワーを浴びながら、きしむ体に、ああ昨日入れたらよかったとも思うが、なかなかそうもいかない。

夫は、そんな私を不思議そうにながめている。

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