そこってお金かけるところじゃなかった
6歳児のつるぴかおてて。photo:yue arima
こんにちは。ライターの有馬ゆえです。
皆さま、乾いてますか? 私は乾いています。ちょっと気を抜くと右手の甲がパリッパリに乾いて、角質の端っこがはがれかけた切手のようにめくれているので震えます。44歳、手タレも愛用するというatrixをすり込むけれど、倍の88歳になったらいったいどうなるんだろうか。
というわけで、今回は佐賀新聞Fit ecruでの連載記事から「そこってお金かけるところじゃなかった」(2017年9月掲載)の加筆修正版をお送りします。39歳、ついに自分の体をコントロールしきれなくなったことへの戸惑いの記録。
幼いころ、布団にうつぶせになり、祖母に背中を撫でてもらいながら眠りに落ちるのが好きだった。肌を往来する祖母の手は、夢の世界へいざなう魔法だった――みたいないい話ではなく、アトピーのかゆみを鎮めるのに、乾燥してざらざらした祖母の手がちょうどよかったのだ。
当時は、その手のざらつきは、祖母のみが持つものだと思っていた。しかし、今ならわかる。私の手もいずれ硬くなり、同じざらつきを手に入れる。間違いなく、しかもそう遠くない将来。
こう自覚したのは、38歳の冬だった。37歳の冬までは見て見ぬふりをできたが、もう無理だった。手が、保湿をしてもしても追いつかないほどに乾ききっていたのだ。加えて、春になっても手の乾燥は収まらず、先日など、夏なのに自然とハンドクリームを塗ろうとしている自分に愕然としたばかりだ。夏ってハンドクリームを塗る季節だったっけ? 違ったよね……。
20代の頃、保湿というのは顔にするものだった。もっと正確に言えば、20代後半までは、顔に化粧水や乳液を塗るという習慣がなかった。若かったのだ。みずみずしいのが当たり前で、少しずつ水分が目減りしていることに気付かなかった。
30歳を過ぎても大したスキンケアはせず、化粧を落とさず布団に入ることもしばしば。たまにパックをしたり、いい香りのボディークリームを塗ったり、ボディーオイルでマッサージをしたりするようになったが、その目的はあくまで自分の心を癒すことだった。
ところがどうだ。今は、体中の肌という肌から水分を飛ばしてはならぬと必死だ。特に、お風呂上りは気が抜けない。浴室から出るや鬼の形相で顔に化粧水をパッティングして、夏でも高保湿のクリームを伸ばす。全身には、くまなくホホバオイル。昔ならめんどうで「ま、いっか」とスキップしていた太ももやおなか、手の届きにくい背中にも、いまや全身に油を塗りたくっている。
ついには毎朝、朝食の準備をしながらパックをするようになった。たまのスペシャルケアなんて悠長なことは言ってられないのだ。そのうえ、週に1度は高保湿やら毛穴ケアやらエイジングケアやらといったよさげなパックもしないと気が済まない。昔はパックなんて美容好きの人がやるもので、そもそもお金をかけるべきところじゃないと思っていたのに……。
と、友人(36歳)にこっそり告白したら「わかる。私も今じゃパックはできることなら毎日したい。去年から韓国で100枚入りの安いのを買ってきてる。デートとかの前日だけ、美容液を注入するすごいやつをしてる」と、こっそり、だが熱っぽく同意してくれた。