女の気配がなくなったカバの体で生きていく

産後、欲望されない体を手に入れた。
有馬ゆえ 2021.09.10
誰でも

こんにちは。

わーーーい秋だよ~~~! 夏を味わい尽くせなかった口惜しさはあれど、秋の到来はやっぱりうれしい。あたたかい日差しとしめりけのない涼やかな風、高く澄んだ空にえんじや黄金、ニッキの色の葉っぱたち。お弁当持って出かけたいですね。

さて今回は、最近の自分の体への所感について。早く人間になりたーい、と叫んできたわけではないけれど。

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お風呂の鏡で自分の体を見て、嫌いじゃないなと思うようになった。20代のようなハリはもちろんなく、背中やお腹にたるみと形容する他ない余分な肉がつき、胸はしぼみ、おしりはたれさがっているが、それらに私は安堵する。

おそらく、やっと異性に欲望されない体になったと思えるからだ。

自分という女の体が男から欲望されているのだとハッキリ気づいたのは、20代半ばのことだった。

当時付き合っていた20歳以上年上の男が、「先日、同世代の友人がバーでこんなことを話していた」とうれしそうに打ち明けてきた。「お前の彼女はいいなぁ。俺の彼女はすっかりおばさん体型で、ジーンズからウエストの肉ははみ出してるし、おしりも垂れ下がってるし、お前がうらやましいよ、って言うんだよ」。男の友人は、私とちょうど年が10歳ちがう30代なかばの女性と付き合っていた。

腹が立った。

なんて気持ちが悪く、失礼なことを言うのだ。それを得意げに話す恋人もうっとうしく、ひどく馬鹿にされた気分になった。けれど、私はそれをなんとなく言えなかった。言えばよかったけれど、言える空気じゃなかった。

彼女には、その恋人をバイクの後ろに乗せて高速をブンブンかっとばすような気っぷのよさがあった。経済的にも自立した大人の女性で、大学院に行きながら水商売なんぞしている私からすれば、まぶしく、まったくかなう気のしない相手だった。

ただ、おじさんたちは彼女をそういう目では見ていなかった。欲望するに足る肉体かどうかで年下の女性を比較し、バーカウンターというクローゼットでにひひと笑い、品評し合う。それは、下品で、下劣で、でも世間の多くが身につけた視線だった。

成熟した大人に見えた彼女ですら、その視線を内面化していた。私は、彼女が焦げるような嫉妬を向けてくるのを感じ取っていた。視線で、口調で、振る舞いで、若い肉体と社会を知らぬゆえの無防備さ、無鉄砲さ、無邪気さのせいで男たちに許されている小娘が憎いと、彼女は語っていた。

37歳で出産し、めまぐるしさに身を任せていたら、私の体は産前の1.5倍ほどに膨れ上がっていた。自分でも見るに堪えなかったが、それがもはやどうでもいいほどに私は疲れていた。

このままでは自分が嫌いになると一念発起し、娘の3歳の七五三をきっかけにダイエットを始めてわかったのは、私を苦しめていたのが自分の姿形だけではなかったということだ。

たくさん歩くようになり、フォームローラーやストレッチ、ゆるいヨガで凝り固まった筋肉が少しずつほぐれていくと、脂肪以上に痛みが体から消えていった。のびのびと体が動かせるようになり、私は思いどおりに動けないことが嫌だったのか、と気づいた。

私の今の体型を見て、過去の私やあの彼女は笑うだろう。ああはなりたくないと、内心軽蔑するかもしれない。だって私の体は、図鑑の付属DVDで見たカバみたいなのだ。分厚くてザラザラの皮がヒダを作っているカバの体。ハリがなくシワやたるみが生まれた肉体はどこか懐かしく、メディアを飾るはじけるような若い女性の肉体とはほど遠い。

カバになってみてわかるのは、自分が自分の肉体を憎んできたのだという事実だ。

できることなら自分の肉体を愛したかった、と過去を回想して思う。

世の女性たちが話している、色っぽいメイクとか、女っぽい格好がしたい気分だとか、ボン・キュッ・ボンがいいとか、そうした言葉を理解できなかった。モテ指南的な文脈に従ってみたこともあったけれど、自分の姿かたちが、好きな人を含む異性から欲望されるのがどこか辛かった。好んで履いたミニスカートが「エロい」と評され、電車の中でそれをまさぐられるような世界を中学生から味わってきたからかもしれない。

カバの体で生きる今、誰かの欲望から解放されて生きるとは、こんなに自由なのかと思う。やっと女から人間になれた気分だ。ずいぶん時間はかかったが、私の体は今、私だけのものなのである。

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