歯の周りが病気

「虫歯になりにくい人は、歯周病になりやすいといわれています」
有馬ゆえ 2024.02.09
誰でも
冬の空と木って好き。photo:yue arima

冬の空と木って好き。photo:yue arima

 こんにちは。ライターの有馬ゆえです。2024年はじめてのレターです。皆さま、本年もどうぞよろしくお願いします。

  痛ましいニュースや身の回りのあれこれに心乱れていたら、2月になってしまいました。元旦の日、子どものお友だち親子と遊んでいた公園でスマホが鳴り、信じられない気持ちでニュースを読みました。そんななか、4日にも被災した子どものための居場所を七尾市で開設したNPOカタリバさんのスピード感には心が震えました。これが本気のスピード感だよな、と。

 東京に住む自分には体感がない、でも確かに同じ地面の先で起きている能登半島の大地震。被災された方々にお見舞い申し上げると同時に、私も寄付など微力ながらできることをしていきます。

今週の東京の雪。どこかのお犬様もお喜びのご様子。photo:yue arima

今週の東京の雪。どこかのお犬様もお喜びのご様子。photo:yue arima

 さて今回は、先日行った歯科健診の話を。おそれていたあの病気になり、人生の後半が変化しそうな気配。

 

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「歯周病検査をするときは、こういう歯周ポケットの深さを測る器具を使うんですよ」

 歯科衛生士さんが、くちばしがしま模様になった鶴のような金属の器具を私に見せた。ああ、歯と歯茎の横にあんな尖った物を出し入れしていたから、刺すような痛みが。いやそもそも痛いってことは、と考えて、嫌な想像を打ち消した。

 歯周病とは、歯茎などが炎症を起こす病気だ。歯と歯茎のあいだの隙間が広がって「歯周ポケット」というものができると、そこに歯周病菌が入り込んで炎症を起こす。炎症が進行すると、さらに歯を支える骨が溶けてしまうのだそうだ。おそろしい。

「歯周ポケットは、4~5mmで軽度、6mmで進行した歯周病とされます。健診では、上下の両奥歯と前歯の歯茎について、出血と歯周ポケットの深さについて調べるのですが」

 と、健診の神を指さす。そこには、右の上下が軽度の、左下が進行している歯周病だということが書かれていた。つまり、歯周病の初期段階ということらしい。

 ついに恐れていたときが来てしまった。憂鬱な気持ちのもやを回避するように、ふいに「この人の顔つき、大学時代のゼミの後輩に似てるな」というひらめきが振ってくる。薄い茶色の目も、捉えどころのない雰囲気も。

 歯が丈夫なことが自慢だった。ろくに歯磨きをしない人生だったのに、虫歯になったことが人生で一度しかないのだ。10代は、歯磨きも歯磨き粉も嫌いで、ほとんど一日一回歯ブラシで申し訳程度に歯をこするのみ。35歳を過ぎてからやっとフロスを使ったり、歯ブラシや歯磨き粉にこだわったりするようになったが、歯磨きは相変わらず嫌いだし、手先が不器用なので気を抜けばすぐ適当になる。それでも歯の痛みに悩むことはなかった。

 そんな調子だったので、自分は一生自分の歯でものを噛んでいられるのだという根拠のない自信があった。「虫歯にならないのは、たぶん歯の質と唾液の質がいいせいでしょうね」と親知らずを抜いてくれた歯科医にほめられ、お墨付きをもらったつもりになっていた。

 しかし、40歳の歯科健診でその自信は打ち砕かれる。あの日、私の歯をチェックした歯科医は言ったのだ。

「虫歯になりにくい人は、歯周病になりやすい傾向があるんですよ」

 マジかよ。寝耳に水だった。

 小学校中学年ぐらいの頃か、母に連れられていった駅前の歯科で初めて虫歯の治療をした。恐怖のあまり泣き叫ぶ私に、中年男性の歯科医はこう怒鳴ったらしい。

「泣いてもいいから動かない!!!!」

 治療に同席していた母は医師の血も涙もないセリフが衝撃的だったようで、このエピソードをたびたび語った。そのせいか私の脳裏には、薄暗いペールグリーンの診療台に気をつけをして横たわったまま泣き叫ぶ自分と、その隣で怖い顔をして私を怒鳴りつける医師の姿を俯瞰した図が焼き付いている。歯医者のあった場所を今でもはっきりと覚えているので、私にとってもトラウマティックな出来事だったのだろう。

 1980年代は子どもに定期的に歯のケアをさせる時代ではなかったのか、母も祖母も子どものデンタルケアに意識的ではなかったのか、私は定期的に歯科健診に行くという習慣を持たなかった。このときの虫歯治療は幼少時代の唯一の歯科通いの記憶だ。二度目に歯医者に通ったのは、20代後半で親知らずを抜いたとき。その数年後に、別の親知らずを抜いたのが三度目だ。

 だから、40歳で自治体から成人歯科健診のお知らせが届いたときには戸惑った。行きつけの歯医者がないからだ。いやそれ以上に、歯医者の選び方がわからなかった。

 必死でウェブサイトや口コミをチェックしていると、まず歯科にも一般的な歯科だけでなく審美歯科や矯正歯科、口腔外科など得意分野があること、一般歯科でも処置は最低限でいいと考える医師もいれば、まずは削りたい医師もいること、医師との相性が良くても歯科衛生士の腕がない場合もあることなどを知った。そして、やっとのことでたどりついたのが、自宅から徒歩20分ほどの場所にある小さな歯科医院だった。

 決め手は、ホームページで医師が掲げていた「メリットデメリットをきちんと説明して処置は最低限で済ませる」というモットーと、「無愛想だが敏腕の歯科衛生士がいる」という口コミだった。自宅からの距離も十分に許容範囲。ホームページに載っていたこぎれいで素朴な様子の院内写真と、ホワイトニングや歯科矯正を無駄に推奨しない雰囲気も気に入った。ただの健診でも精神的負荷が高いのだから、少しでもキラキラ、イケイケな圧のない病院を選びたかった。

 入念なリサーチで自分好みの歯科医を見つけた私は、それ以来、健診や歯のクリーニングで毎年、そこに通っている。例の「虫歯になりにくい人は歯周病になりやすい」発言が地味に効いたのだ。

 診療台に仰向けになり、目をつむって口を開けているとき、いつも古い友人のことを思い出す。彼女は小さい頃、虫歯だらけだったため歯医者に慣れていて、診療台に横たわると知らず知らずのうちに眠ってしまうのだそうだ。その時間が好きだとすら言っていた。気がつけば緊張で身体がこわばり、ヨガの呼吸、ヨガの呼吸、と唱えながら深く鼻呼吸を繰り返している私とは大違いである。

 あーあ、私も眠ってしまえたらどんなに楽だろうか。一年に一度じゃなくて半年に一度でも来たら、もっと恐怖は和らぎ、痛みも少なく、時間も短くて済むのかなあ。嫌だけど、三カ月に一度ぐらい来てみようか。あ、いっそ麻酔してもらえばいいのでは? 歯茎に塗るだけでいいやつ、親知らず抜くときに感動したもんなあ。そういえば、この歯科衛生士さん、ここに通い始めたときからずっと同じ髪型、髪色だよなぁ。私と同じで、白髪隠しもあって明るい色を選んだんだろうか。しかしいつもショートカットってことは、一カ月に一度は美容院行ってるんだなあ。毎日人に会う仕事だもんなあ。マメでえらいよなあ。

 ……などということを、つらつらと考えながら耐え忍ぶ一時間あまり。たまに、脳裏に例の歯医者の恐怖の一言がよみがえったりもする。先生、私今は泣いてもないし、動いてもないけど、顔は痛みでしっちゃかめっちゃかに歪んでます。

「有馬さんの歯についた歯石は、あちこちに固まってくっついていて、しかもすごく硬いんです。超音波で砕こうとしてもなかなか砕けないぐらい」

 歯科衛生士さんの言葉を聞きながら、歯石って超音波で砕くんだなあ、と思った。歯石の付着の仕方には、全体にまんべんなく付くタイプと、硬いものがあちこちついているタイプがいて、あちこちタイプの方が歯周病になりやすいのだそうだ。

「ってことは」

 口を突いて出た言葉を、彼女はサッと拾って「そうなんです」と投げ返す。

「有馬さんはすごく歯が丈夫で、歯磨きもできていなくはないんですけど、もともと歯周病になりやすいんですよ。しかも、歯ぎしりや食いしばりが強いので、その意味でも歯周病になりやすいんです」

 新事実:歯ぎしり、食いしばり。彼女は背後の器具置き場からサッと手鏡を取り出し、私の口元を映した。

「前歯を見てください。下の前歯は上が真っ平らですよね。ここにはもともと山がいくつもあるんですよ」

 名探偵が事件を解決していくようなよどみない口調でたたみかけられ、「明智さん、あーし、確かに気になってたんす」と、突然のギャル登場。子どもの生えかけの歯がかわいくギザギザしているの見て、あーしの歯ってもうギザギザが取れてるんじゃね?って思ってたんす。やば。ギャルでも出さなきゃ受け止めきれない。

「歯ぎしりで歯が平らになってしまって、さらにエナメル質が削れて象牙質が表面に出てきてるんです」

 あー、マジすか、マジすか。まだ人生の半分ぐらいしか生きていないのに。でも実はあーしも、なんか歯がもろもろ崩れかけてるような気してたんす。見て見ぬふりしてたんす。

「あの~、歯ぎしりは治ることはないんですか?」

「ほぼないですね。歯ぎしりはする人はするし、しない人はしないようです。歯ぎしりをするのは一晩に5分、10分なんですが、寝ているときは力の加減ができないので、歯には数十から100kgの負荷がかかるといわれます。あまりにひどい人は、寝ている間はマウスピースを入れる治療をしたりもします。一般的に、口の中を噛みやすい人は歯ぎしりをする傾向にあるそうです」

 げ、じゃあ、あーし、完全に歯ぎしりしてるっす。ちっちゃいときからよく口の中噛んで口内炎になってたっす。ってことは、毎晩歯ぎしりしてる8歳の我が子も歯周病になりやすいってことっすね! つら!!

 きっと私の両奥歯の歯周ポケットが深いのは、私が歯磨きを嫌い、かつ奥歯を磨くのが下手くそなせいで歯石が溜まりやすいからなのだろう。ならば、やっぱりあーし、3カ月に一度ぐらい歯のクリーニングにくるべきなんじゃないすか!? そんなギャルの叫びを聞いていたかのように、歯科衛生士さんは続けた。

「歯周病初期の治療は2パターンです。ひとつは、麻酔をかけて器具で歯石を取り除いて、その後、定期的にクリーニングに通うパターン。ふたつめは、ひとまず3カ月ごとにクリーニングに通って経過観察するパターン。歯石が硬くなりやすい有馬さんには、ふたつめをおすすめします」

「わかりました」

 名探偵の言葉に観念した私。日々あまり力を入れずに柔らない歯ブラシで歯磨きをする、フロスや細い糸ようじを使うなど、一年前にも聞いた指導内容を聞きながら、自宅にある超柔らかい毛が密集した歯ブラシを下ろそう、と思った。

 私は立ち上がって待合室へ戻った。歯科通いは嫌だが、自分の歯がなくなるのはもっと嫌だ。いままで歯磨きや歯のクリーニングをサボってきたツケを払うときが来た、ということなのだろう。窓口で会計が終わると、受付業務をしてくれた歯科衛生士さんはニコッと微笑んだ。衛生士さん、最後にそんなかわいい笑顔見せるなんてずるいっす。

「有馬さん、注意して歯磨きするのは下の両奥歯と上の右奥歯です。3カ月後の4月に、予約お待ちしています」

 お大事に、という言葉に見送られ、歯科医院のドアをくぐる。重たい足取りで歩き出す。ま、人生こーゆーこともあるんすよ、と達観したギャルが私の肩を抱く。そーねそーね、人生の後半、歯医者に通う人生を体験してみるっていうのもいいのかもね。おばあちゃんになる前に、私も診療台で気持ちよく眠れるようになりたいわ。

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