血はつながってないけど、愛でつながってる

「じいじとおかあさんは、ちはつながってないけどあいでつながってるんだよね」と子どもが言った。
有馬ゆえ 2023.01.20
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photo:yue arima

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こんにちは。ライターの有馬ゆえです。

新年1通目をお送りするのが、ずいぶん遅くなってしまいました。皆さま、本年もどうぞよろしくお願いいたします。

子どもの冬休みが終わり、いつもの生活が戻って来ました。年末年始もいつもと変わらずに過ごしたい私にとって、子どもとの生活は楽しくも刺激的すぎて、ようやく訪れた心穏やかな毎日に安堵しています。

さて今回は、12月に亡くなった私の父の話です。

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父が他界した。父、といっても、血のつながった相手ではない。20歳で出会った彼は、母の二度目の結婚相手だ。再婚時に養子縁組をしていないため、戸籍が一緒になったことはない。もちろん一緒に暮らしたこともなかった。

両親が再婚してから15年以上、私たちはぎこちない関係を続けてきた。父との距離が縮まったきっかけは、私が結婚、出産したことだった。

父は我が子をかわいいかわいいと溺愛し、だっこをし、おんぶをし、シールで遊び、絵本を読み、ビートルズにあわせて太鼓をたたき、近所を散歩した。コロナの前は、毎週金曜日に母と保育園に迎えに行ってくれていた。

近所のお祭りやレストランばかりでなく、水族館やビルの中にある牧場、ちょっと足を伸ばして横浜マリンタワーやいちご狩り、さらに足を伸ばして金沢にも一緒に行った。子どもと父は仲良しで、どこかに出かけると、よく二人でふらりと何かを見に行ったり、おいしいものを分け合ったりしていた。

最近は、トランプの神経衰弱をして遊んでいた。二人きりでよく、無言で、でも楽しげに、ダイニングテーブルの上に並べたカードをめくっていた。子どもと父は同じぐらい記憶力がよく、母や夫、私と複数人で神経衰弱をしても、たいていは二人のどちらかが勝った。子どもは、神経衰弱はじいじ以外は相手にならないと思っているようで、私が「二人で神経衰弱をしよう」と誘っても「じいじとやるからいい」と断るのだった。

例えば、ダイニングテーブルでトランプをする子どもと父。それを見ている夫はリビングの床暖のうえで足を崩してくつろいでいて、キッチンからは母の立てる水音が聞こえる。例えば、ダイニングテープルで新聞を読む父と、お絵かきをする子どもと、小型扇風機を修理する夫と、コーヒーをいれる母。例えば、芝生を敷いたベランダにキャンピングチェアを出して笑い合っている父と母、夫、そこに私と焼いたチェリーパイを運ぶ子ども。

そんな場面に居合わせるたび、私たち五人は家族になったのだな、と他人事のように思ったものだ。どのシーンも絵に描いたようにあたたかく、それが不思議だった。私の生きる現実とは思えなかった。そんな現実を生きていた。

子どもが「じいじ」と呼び、夫が「お父さん」と呼ぶ人は、私にとってまぎれもなく父だった。だからいつからか私は、その名前にさん付けで呼んでいた父を、「お父さん」と呼ぶようになった。

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