スーパーの女
photo:yue arima
こんにちは。ライターの有馬ゆえです。
先日、愛用していたでかいピアスを海に落としてしまいました(子ども「カメが飲んじゃったらどうしよう」)。毎日のようにつけていたので、急に相棒をなくしたようで心許ない。仕方なく、すでに片方になっている先代のお気に入りとペアを組んでもらっています。くー悔しい。早くまた気に入るものと出合いたい。
繊細なものを身につけられる女に憧れ、華奢なアクセサリーを好んでいた時期もあったけれど、ここ2、3年は、自分に似合うもの+楽なもの+加齢した顔がいい感じで華やかになるもの=でかいピアスを選ぶようになりました。今回は、そんな話。佐賀新聞Fit ecruでの連載記事から「スーパーの女」(2019年2月掲載)の加筆修正版をお送りします。
「スーパーの女たちって、いつからああなの?」
だいぶ酔いのまわった23時、友人が思い切って、といった調子で聞いてきた。年末、彼女の転職祝いをしていたときのことだ。
退職前の有給消化中、友人はスーパーに買い物に行くようになったという。就職以来、すっかりご無沙汰していた昼間のスーパーに足を踏み入れ、彼女はあぜんとしたそうだ。そこが、すっぴん、かつ着の身着のままで買い物をしている同世代の子連れママたちであふれていると気づいたからだ。
「一度だけじゃないの。いつ行っても、昼間のスーパーの光景は変わらないの。明らかに、こだわってしてる格好じゃないの。あの人たちは、いつ女をあきらめたの? もともと着飾ることに興味がなかったの? だったら、なんで全員結婚できてるの? それとも、結婚後に劇的に変わったの?」
批判するとか非難するとかではなく、友人は不可思議な世界に放り込まれて困惑している様子だった。同じ時代の同じ価値観を生きたはずなのに、なぜあの女たちは異星人のようなのか。きっと独身時代の私も、同じような目でスーパーの女たちを眺めたと思う。
急に、彼女とスーパーの女たちをつなぎたくなった。
「実は、私もスーパーの女だったことがあるんだよ。ここ1年で、ようやく、ようやくそこを脱しつつあるんだけど」
保護者なしでは生存できない赤ちゃんという生き物と暮らすようになり、生活の中の重要度ランキングががらりと変わった。
毎日、赤子のために起き、赤子に乳をやり、ミルクを作り、赤子をだっこし、あやし、赤子に話しかけ、笑いかけ、赤子をベビーカーに乗せて散歩をし、赤子の体に合った衣服を買い、赤子の月齢にあった子育てグッズを物色し、赤子のための家具をそろえ、赤子に与える絵本やおもちゃを選び、赤子を寝かしつけながら眠る。自分の人生のはずなのに、自分の優先順位は再開になっていた。