人と人生を分けるということ

人の人生の脇役になるということ
有馬ゆえ 2023.12.22
誰でも
photo:yue arima

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 こんにちは。ライターの有馬ゆえです。暖かい冬だよ。

 気づけば今年も年末ですね~。最近、お友達に影響されてDuolingoを始めました。英語を中心に、韓国語もフランス語もやってる。英語はまだまだ中学英語なので、電車で隣に学生さんとかいると恥ずかしいです。韓国語は初心者過ぎて全然わかんない。でも知らないことばっかりで面白い。フランス語も響きが好きなので楽しいです。でも私、語学のセンス全然ないのであった。

子どもがいつも遊んでるのもLingoKidsだった。どうせゲームするなら学べるやつを…と入れたLingoKids、効果は今のところ特になし。

子どもがいつも遊んでるのもLingoKidsだった。どうせゲームするなら学べるやつを…と入れたLingoKids、効果は今のところ特になし。

 本日は、ある夏の日の記録をお送りします。一人気ままだった頃のように過ごしたある日の心の動きをつれづれなるままに。

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 ある夏の朝。6時半に目が覚めて、二度寝して、8時半に起きてすぐスマホを開き、「東村アキコと虹組キララの身も蓋もナイト」を再生した。アキコ先生の気っぷのいいしゃべりを聴きながら、昨晩、夫とその実家に泊まりに行った子どもが「朝帰る」と泣いていたのを思い出す。支度をしなきゃ、洗濯しなきゃとノロノロとふとんからはいだし、洗濯機を回す。

 夫からビデオ通話の着信があって、出ると子どもがうれしそうな顔で私をのぞき込んでいた。今日の午前中は公園で遊んで午後はプールへ行き、明日の朝一に帰るのだという。楽しんで、気をつけて帰ってきてねと定型文みたいな返事をするも子どもが電話を切りたがらないので、そのままビデオをつなぎながら化粧をして、洗濯物を干して、昨晩シンクに放置したお皿を洗った。

 電話を切り、トレファクの買い取りに出す洋服を洗濯してアイロンをかけてしまおう、と思い立った。仕事がないのでお金が必要なのだ。いや、仕事がないのではなく、私が学校に行かない子どもといるために仕事をしないことにしたのである。とにかくお金が稼げず不安だった。

 二人が留守のうちに、シーツも敷きパッドも洗濯してしまいたかった。真夏で、しかも1日家にいるのだから、ガンガンと何回も洗濯機を回したかった。なんだかさっぱりしたかった。

 飼育している5頭のアゲハチョウの幼虫が活動を始めていた。昨日の朝、虫かごに入れた数枚の葉っぱがまるまるなくなっている。早く補充しなければと考えていたら、そのわずかなあいだに、夜のうちに緑色に変態した一番大きな幼虫が、生まれたばかりの5ミリほどの幼虫を踏み潰してしまった。慌ててベランダのプランターから柑橘の葉をちぎってきて虫かごに入れ、そして緑の幼虫だけ別の瓶へ移す。

 さっきまで生きていたものが今もう命を落としているという現実が受け入れがたく、体が重たくなった。娘がショックを受ける顔、私を激しく非難する声を想像して、さらに憂鬱になる。昨日の夕方、葉っぱがなくなりかけているのを知りながら面倒くさがってそのままにしたから、大きな幼虫が葉っぱと似た匂いの小さな幼虫を食べようとしたのではないか、とまったく根拠のない想像をして自責の念に駆られる。虫かごのかべにねりけしのようにべたりとくっついた5ミリの幼虫から、目が離せなくなる。そのすぐ隣にいる1センチほどの幼虫が動かないことに気づき、この子も潰されてしまったのかと喉が詰まって葉っぱの先でちょんちょんとつつくと、それはうごうごと頭を左右に振って、少しだけほっとした。

 外はカンカン照り。暑くて外出したくなかったが、昼前に去年小学校で子どもの心の支えになってくれた中1の女の子に会うため、駅前に出ることになっていた。まだ渡せていない卒業祝いのプレゼントを届けるのだ。子どもの保育園時代のクラスメイトのお姉さんで、シャイで優しい女の子。私も大好きだった。

 3カ月ぶりに顔を合わせた彼女は、いつもの黒ずくめのファッションにニーハイソックス、黒いマスク。だけどずいぶんと大人びて見えて、「背が伸びたね」と言ったら、「厚底履いてるんで」と照れて笑った。その口調が3月までよりも明るくて、中学で彼女がのびのび過ごせているせいならいいなと思う。彼女のママは「こんな暑いのにマスクまでして」とぼやいたが、コロナの気配が薄れても黒いマスクで自分を守り続けているのはむしろ繊細な彼女らしく感じた。

 それじゃと別れを告げ、意気揚々とドラッグストアへ。久しぶりに「リラク泉 ゲルマバス」を2種類をうきうきとかごに入れ、レジへ。さらにお隣のファミリーマートでもソフトクリームを2個買った。子どもがいたら硫黄臭が嫌だと言われるバスソルトと、贅沢品のコンビニソフトクリーム。1人切りなんだからそれぐらいはしたい。

 帰宅して、冷やしておいたキウイを食べながら、Amazon Prime Videoで映画「グッバイ・シングル」(2016/韓国)の昨夜の続きを再生する。コメディ映画のオブラートに包んで、高齢女性と出産、未婚シングルマザーの苦難、若年妊娠と逃げる男などなど、深刻なテーマを扱っていることに終始感動。観終わってネット検索して映画情報や感想をザッピンクしていて、200万人を動員するヒット作になったことを知って韓国すごいなと胸が熱くなったり、「感情移入できない」「何も考えずに見るにはいい」とか書いている健康な日本国籍男性たちの鈍感さにイラだったりした。

 続けて、なんとなくサジェストされた作品をスタートさせ、一昨日の夕飯の残りの豚キムチと白いご飯を温め、海苔を散らす。しばらく観ながら食べていたが面白くないので止めて、そうだ、「ベイビー・ブローカー」(2022/韓国)がプライムに入ったんだった!!と急に盛り上がってプレイを押した。

 是枝監督らしい色合いや音楽の調子、演出が居心地良い。ああ大好きだな~。不満気に話しているIUを見て、SHINeeのジョンヒョンを思う。2017年に自ら命を絶ってしまった愛するジョンヒョン。私が守れなかったジョンヒョン。彼がもうこの世に、私の人生に、いないということ。

 ソン・ガンホ演じる男が離婚した妻との間に生まれた子どもと夜のカフェでお茶をするシーンで、ああ大人はときにこうやって、権力の勾配があることを無視して都合良く対等に子どもを扱うんだよなと苦々しい気持ちになる。自分が幼いころに母と離婚した父親と会える世界線を想像する。それはどんな人生だっただろうか。心臓をぎゅっとつかまれたような息苦しさが去来し、何か書きたくなるかもしれない、と少し映画を巻き戻してお茶のシーンをiPhoneで撮影した。

 129分の旅が終わり、ふとアゲハチョウの虫かごを見ると、潰された5ミリの幼虫の傍で、1センチの幼虫がうごめいている。まるで弔っているようで、胸が痛む。もちろん虫はそんなことは一つも思っていなくて、私の中の罪悪感がそうさせている。勝手に連れてきて飼育しているのに、と。

 急に、気がつく。ああ、一人暮らしの時はこういう余裕があったのだ。自分のペースでコンテンツを消費し、考えをめぐらし、悲しくなったり、つらくなったり、自分を責めたり、過去を思い出して再び傷ついたり、どうにもできないことに泣いたり、毎日どうしようもない感情の上下の波に襲われながら生活していたんだった。今の私は、小さな子どもの生活に伴走するのに必死で、今日みたいに毎日頭を使うことはできないのだ。それはとても幸福で、同時に退屈でもある。

 10代の初めから頭の声と対話して文章の形でアウトプットすることを続けてきた私は、自分のためだけに頭を使えない生活に苦しさを覚えているのだろう。それが思う存分できた独身時代を、懐かしく、羨ましく思い起こすこともある。

 でも、子どもと夫との生活に体を合わせることは、自分の悲しみやつらさを共有してそのかさを減らしたり、必要以上に自分を責めたり傷ついたりしなくてすんだりするということでもある。人と人生を分けるということ。人の人生の脇役になるということ。

 念願の「リラク泉 ゲルマバス」のお風呂ででどっさり汗をかいて、1枚だけ敷いたセミダブルのふとんに寝転んで、やわらかいガーゼのうすがけにくるまった。図書館で借りた齊藤彩『母という呪縛 娘という牢獄』(講談社、2022)を読み始める。教育虐待の末に引き起こされた殺人事件の裏にある母娘関係に迫ったノンフィクション。前評判だけでなく、先に読んでいた友人から「すさまじいものを読んでしまった……」というLINEが来ていて覚悟はしていたが、初っぱなからものすごい。

 が、少し読み進めたところで、前に借りた人のものであろう髪の毛が複数はさまっていて、集中が途切れてしまった。気味が悪すぎて、おそるおそるティッシュを使ってゴミ箱に捨てる。しかし、顔の上に落ちてきたらという想像で、もうあおむけになって読むことができなくなった。

 たまに「あの髪の毛の人が途中で読むのを諦めててください」と祈りながら、枕に顔を埋めて文字を追う。全体の2/3ほど読み進めて、ふとうすがけから足が飛び出ていることに気づいてぞっとした。小さいときから、ひとりで眠るときはふとんに足をしまっていないと怖いのだ。それだけじゃない。鍵がかけてあるとわかっていても、毎日毎日ドアスコープから誰かがのぞいているのでは、ドアから誰か入ってくるのではという恐怖が襲ってくる。ベランダから人が入ってくる想像をして怖くなるのも、いつも。

 再び手が止まり、でもせっかくの一人の夜に眠るのももったいなくて、絵でも描くか、と思いつき、私は絵が好きだったなと思い出す。夜な夜なバステルやら色えんぴつやらで絵を描いていた中学時代の記憶がよみがえっては消える。そして再び、本の続きを目で追った。

 最後までページを読み進め、パタンと本を閉じる。体の奥底から、「すさまじいものを読んでしまった……」という友人と同じ感想がぶわっと湧き上がってきた。母の気持ちも、娘の気持ちも、自分の延長線上にあるのが恐ろしかった。母の言葉、特にLINEのメッセージをあまりに繰り返し読んだので、自然と子どもに同じ言葉をかけてしまうのではと怖くなる。それぐらい、この母と気持ちが触れあうところがあったのだ。娘の母への複雑な気持ちもわかる部分が多く、私にも自分を殺して母に同化し、束の間の平和を味わいたい気持ちがあったな、と思い出した。結局できず、それはそれで悲しかったことも。

 寝ようとして電気を消す。暗闇で布団をかぶって睡魔を待つうち、ラジオで聴いた怖い話を思い出して眠れなくなる。すぐさま独身時代に得た「眠れなければ寝なくてよし」というありがたい教訓を思い起こし、夜が明けて怖くなくなってから寝ればいいやと再び電気をつける。

 トイレに行くため廊下に出る。我が家の廊下はL字なので、突き当たりを曲がったところに誰かいたらどうしよう、という恐怖に駆られる。トイレのドアを閉め、鍵をかけ、用を足しながら「だれかが刃物を持って現れたら冷静に何を困っているのか聞いてみるのだ。対話だ」と決める。それから「電気がついている家には泥棒は入らないので、外から見える部屋の電気を一つつけて寝るといい」という『あさイチ』でみた防犯テクニックをひらめき、トイレから仕事部屋へ向かい、電気を付けてカーテンを開けておくことにした。

 仕事部屋に来たついでに、ポジティビティーを補充するため、東村アキコ先生の作品を物色する。そういえば子どもが読みたがっていたなと思い出し、本棚から『かくかくしかじか』(集英社)全巻を取り出した。

 昼間買っておいたソフトクリームを冷凍庫から取り出し、ダイニングテーブルの椅子に座って『かくかくしかじか』を読み始める。そして、作中の宮崎弁をポッドキャストで毎日ヘビーに聴いているアキコ先生の口調で生き生きと脳内再生しながら、いい感じで溶けはじめたソフトクリームをなめた。  

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