愛おしき娘の隣人

それは、少女時代の私。
有馬ゆえ 2021.12.28
誰でも
ph:yue arima

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こんにちは。

あっという間に大晦日ですね。私にとって静かで冷たい空気が張り詰めた年末年始の東京は原風景。年明けの午前中、頬のうえで空気の膜がピリッとひびわれるような感覚を味わうと、ああしあわせ~という気分になります。

読者の皆さま、今年は大変お世話になりました。来年もまたお目にかかれればうれしいです。そのときまで、皆さんどうぞご無事で。2022年は、もうすこしオリジナルの記事を書くぞ~! 

では2021年の最後は、佐賀新聞Fit ecruでの連載記事から「愛おしき娘の隣人」(2020年3月掲載)の加筆修正版をお送りします。

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大人になると、過去の自分に厳しい視線を投げかけがちなのかもしれない。娘と過ごすようになってから、そんなことを考えるようになった。

だれしも、過去をふがいなく思い出し、当時の自分を責めることがあるだろう。努力不足だった、我慢が足りなかった、でなければ未来は違っていたかもしれないのに、と。

また大人になると、過去の傷や痛みをなかったことにもしがちだ。そのとき確かに深い苦しみのなかにあったにもかかわらず、「大人になったんだから忘れるべき」「周囲の人たちにも事情があったんだ」などと自分を納得させようとしてしまう。そのくせ治癒しきっていない傷は時折うずきだし、自分の幼い弱さを突きつけてくるようだ。

子どもを産む前、私はこうして過去の自分を責め続けていた。子ども時代の自分が、今の自分の延長線上にあるようにしか感じられなかったからだろう。

しかし、子どもが1歳を過ぎたある日、私は自分の子ども時代を客観視していることに気がついた。娘を通して、私は自分を見つめる時間軸をもう一つ手に入れたのだと思う。見知らぬ女の子に起きた出来事のように、自分の過去を思い出すようになったのだ。彼女は私とはまったくの他人であり、同時に娘の隣人だった。

子どもたちを見ていると、彼ら、彼女らの「できなさ」はすごいなと毎日思う。我が家の4歳児ならば、折り紙ひとつとっても角と角を合わせて折ることもできなければ、折るのを手伝われるのも嫌だし、折り目をうまく開けずにぐちゃりとしわが寄ればイライラして握りつぶす。納得のいくできばえに得意顔を輝かせる一方で、どうしてもうまく仕上がらなければ声を荒げ、終いには親子ゲンカに発展することもある。

奴らは、狭いキャパシティのなかでせいいっぱいがんばって生きているのだ。そう考えると、私が足りないと振り返る過去も、当時は同じようにせいいっぱいだったのかもしれない。40歳の自分だったらどうにかなるかも知れないけれど、まだ子どもだもん。あれ以上なんて、本当にできなかったのかもしれない。怠けたいときだってあるよ、よくがんばったのも知ってるじゃない――。そんなふうに思えてくる。

自分の記憶を他人の人生としてたどっていると、過去の痛みの見え方も変わってくる。たとえば帰宅の遅い母親にあまり会えなかったこと。自分自身の過去なら仕方なかったとしか思えないけれど、人間関係を離れた瞬間に嘘のない感情は浮かび上がってくる。心細そうな顔をした女の子の肩を「さみしかったね」と抱いてやりたくなる。片親だったとか、母親が百貨店勤務だったという事実は、彼女のさみしさと無関係だからだ。仮に自分の娘が、そしてその友達がそんな状況にあったらという想像が、過去の自分への慈しみにつながっている気もする。

過去に味わったつらい出来事を「確かにつらかった」と認めるのは、精神的な負荷が高い。だから逃げたい。しかし、過去の自分の感情を存在してもいいものとして認めると、確かに傷は癒えていくのだ。胸の片隅にもやもやと漂う小さな曇りが、ひとつずつ消えていくような感覚。幼いころから隠し続けてきた小さな傷を一つひとつ癒やしていくことができて、私はとても満ち足りた気持ちでいる。

娘の隣人であるその女の子は、たまに私に会いにやって来る。私は扉を開けて招き入れ、その打ち明け話を聞く。ときに思い出した悲しみに耐えきれず、一人きりでシャワーを浴びながら号泣したりもするけれど、ここまで生きてきてよかったなと感じている。

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ご意見、ご感想、ご相談、ご指摘、雑談などあればお寄せください。あったかくして、どうぞおだやかな年末を!

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