4歳児、午前7時の冒険譚

ある朝、ひとり目覚めた娘が散歩をしようと家を出た。ちょっと怖いからうさぎのホッペルちゃんを連れて(写真左がホッペルちゃん)。
有馬ゆえ 2021.06.25
誰でも

こんにちは。

夏至を過ぎ、日の長い時期も折り返し地点。夕暮れ散歩やベランダの夕涼みが恋しい時期ですね。昼咲き月見草や昼顔のようにピンクがかる空気がすき! 夏らしくなるまで、気圧の変化弱い族の皆さん、湯船に入って睡眠取って、五苓散飲みつつ、ゆるっとやりましょう~。

さて今回は、1年前に起きた、たぶん一生忘れられない事件について。誕生して4年もすれば、人としての自負も意欲も生まれるもので。

***

遠く玄関で、お隣のパパの声がした。ゆっくり目を開けると、薄暗い6畳間で一緒に眠っているはずの夫と子どもがいない。時計はまだ7時台。

なぜこんな朝早く、お隣さんが訪ねてきたのだろう。胸騒ぎがして起き上がると、ばつの悪い顔をした娘が、父親と手をつないで戻ってきた。パジャマ姿で、腕にはウサギのぬいぐるみ。夫が言う。

「俺たちが眠っているあいだに、一人で出かけたんだって。マンションの入り口にいたのを、お隣さんが連れて帰ってきてくれた」

およそ1年前、娘が4歳9カ月のときの出来事だ。

新型コロナウイルスの影響で保育園が休園になり、私たち夫婦は1日交代制で育児と仕事を回していた。ともにフリーランスで自宅作業に慣れていたとはいえ、ほぼ24時間、3人が同じ空間で過ごす生活が1カ月以上も続いては、さすがに息苦しい。夫も私も、早朝に一人で目が覚めると、ふらりと散歩に出て気分転換をすることがあった。

娘は、それがうらやましかったらしい。保育園では連れだって公園に遊びに行くことを「おさんぽ」と呼ぶので、自分を置いて公園で楽しく遊んできたなんてずるい、と考えたのかもしれない。

だから朝方に一人、薄暗い寝室で目を覚ました娘は、ひらめいてしまったのだ。そうだ、私もお父さんやお母さんみたいに散歩に行こう。いつもの公園で、この子にお花でケーキを作ってあげよう。そう思って、0歳から一緒にいるうさぎのぬいぐるみをひっつかんだ。不安だからお供がほしいという気持ちもあったらしい。

仲間を連れ、意気揚々と靴を履いて、玄関の鍵を開ける。いつものようにエレベーターを呼んで1階まで移動すると、ぐんぐん歩いてエントランスの自動ドアを抜け、重たいガラス扉を開けてマンションを出る。

だが外の空気に触れた途端、なんだか怖くなった、のだと思う。

「ちょっと泣いちゃってたから、おばあちゃんがどうしたのって聞いてくれたの」

彼女を見つけてくれたのは、マンションの向かいに住む高齢のおばあちゃんだった。偶然、外に出てきて、路地の向こう側から声をかけてくれたという。面識はなかったが、パジャマ姿の幼児が一人きりで泣いていたものだから、放っておけなかったのだろう。

おばあちゃんはしばらく娘に付き合って、マンションの植え込みのツツジやダンゴムシを観察しながら、おしゃべりをしてくれた。「何が好き?」と聞くと「お花だよ」と答えたので、娘はツツジをつんでプレゼントしたそうだ。そこへ思いがけず通りがかったのが、ジョギングから帰ってきたお隣のパパだった。

お隣さんも、さぞかしびっくりしたことだろう。パジャマのままのお隣の4歳児が、マンションの入り口で見知らぬおばあちゃんとツツジ片手に談笑していたのだから。かくして娘は、無事に救出されたのである。

事の顛末を聞き、安堵感に力が抜けて、涙が吹き出してくる。なんだよもぉ~、やめてよぉ~、ほんとよかったよぉ~。私の号泣につられて、娘もわんわんと泣き出す。その肩を抱き寄せ、大げさでなく、私が今、この小さな体を抱きしめているのは奇跡なのだと思った。

4歳児は、まだまだ自分で自分の身を守ることができない。家の外に出てしまい、そのまま迷子になったり、事故に遭ったり、だれかに連れ去られたり、または傷つけられたりして、二度と会えなかった可能性だってある。それが、近所の見知らぬおばあちゃんと、たまたま同じマンションに住んでいた男性のおかげで、回避されたのだ。

脳裏に、勢いよくマンションを飛び出した娘が、出口付近をふんわりとおおうやわらかなネットにひっかかり、ぽよんと中に押し戻されたようなイメージが浮かぶ。私たちは、紛れもなく社会に守られたのである。

短い冒険のあいだの胸の高鳴りや期待が膨らむ感じ、ぞろぞろと体を駆け回る不安、緊張、からの安堵感。みずみずしい感情の一つひとつを想像する。

心が震える。かつて、腕に抱くのもためらわれるほどにもろく、手助けなしに生命を保つことすらできなかった生き物が、私たちの手を離して一人きり、自分の欲望に突き動かされて世界へ踏み出しはじめている。

これからの人生で、彼女は生きるよろこびに心躍らせることもあれば、運命を呪うこともあるだろう。だがどんなときでも、今朝のように手を差し伸べてくれるだれかがいる。そう信じたい。

だから彼女には、自分が望む方向へ踏み出す勇気を持った人であってほしい。地平線の向こうまで長く長く続く道を思い描きながら、強く願った。

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