ゆめのぱんやさん(5歳児の創作ばなし)
こんにちは。
雨の多い夏ですね。さるすべりのちりめん生地みたいな花を見かけては、いっとき心癒やされています。とくに鮮やかなピンクが好き。
先日、娘に「5時半まで仕事をします」と宣言したところ、「前から思ってたんだけどさぁ、その“はん”って何よ。あっ、もしかして、ごはんのはん?」と聞かれました。あっぱれ食いしん坊。
今回は、そんな娘が話してくれた「ゆめのぱんやさん」という物語を通して、幼児の創作能力について考えます。
保育園に行く道すがら、娘が「図書館で本を借りてきてほしい」と言うので、何の本がいいかを尋ねると「パンの本!」とのことである。食べ物好きな彼女らしいなとおもしろくなって、試しに娘だったらどんな話を作るか聞いてみたら、想像以上に本格的な物語を作ってくれた。
せっかくだから音声データに残そうと、夕食の後にもう一度話してもらうと、娘がほぼ同じ文章をくりかえしたのでさらに驚いた。以下は、その音声を文字起こししたものである(カギカッコ内は私による補足)。
「ゆめのパンやさん」
あるひ もりで うさちゃんが まいごになってしまいました。うさちゃんは いいにおいいをかぎつけて パンやさんをみつけました。
そのパンやさんは しかくいなかに はちみつとクリームがはいってブルーベリーでふたをしてあるパン まっちゃのやまがたしょくパンに フランスパン……おいしそうなものであふれていました。
そこには おいしそうなパンばっかりあったので えらべませんでした。
なかから しろくまのおにいさんが でてきました。うさちゃんは かってもいいのかな? とおもいました。でも うさちゃんはおかねを もってきていませんでした。
しろくまのおにいさんは こういいました。
「おかねははっぱでいいですよ」
うさちゃんは はっぱをもってきてから パンをかうと おれいをいおうとしました。
「パンやさん、ありがとう」
でも、そのパンやさんは もうきえていましたし、それにパンやさん(しろくまさん)もいませんでした。
あれ? とおもいながらうさちゃんが あたりをみまわすと そこはおうちのまえでした。そこで うさちゃんはベルをならすと、おかあさんがでてきました。
「なにしてたの? しんぱいしてたのよ」
おかあさんは いいました。うさちゃんは なきながら おかあさんにだき(つき)ました。そこで うさちゃんのおかあさんが いいました。
「あさごはんにしましょ」
うさちゃんと うさちゃんのおかあさんは なかよくくらすことができました。ぶじに おうちにかえれて いいいちにちでした。
おしまい。
驚いたのは、彼女が短くも起承転結のある物語を語ったことだ。
これまでも、娘が話を作ったり、数ページの絵本のようなものを書くことはあった。しかし、それらは話に飛躍のあるもの、くりかえしを楽しむだけのものと、ナンセンスな面白さはあっても、ストーリーとしての完成度は低かったのだ。
「てにをは」や主語と述語の組み合わせが正確なうえ、最後は「うまいこと締めたい」という感じで考え考え言葉を紡いでいたことにも驚いた。
また、物語のなかに、過去に接した絵本やアニメの要素が息づいているのも面白い。不安からの安心(迷子→家に戻る、お金がなくて買えない→葉っぱで変えるようになる)というのは絵本によくある型だし、「お金は葉っぱでいいですよ」はどこかの絵本にあった表現だ。パン屋さんがいつのまにか消えているというのは、『不思議駄菓子屋銭天堂』(偕成社、NHK)の本とアニメからのイマジネーションだそうで、タイトルの「ゆめの」というのも、銭天堂のようにふっとあらわれては消える存在だと示すために選んだ言葉らしい。夢オチか? というのは母の邪推であった。
パンの記述からは、街のパン屋に並んでいたいろいろなパンをおいしそうだなと眺め、色や形、トッピングなどを詳細に記憶してきたのだろうなとわかるし、家庭を営んでいる立場としては親子で食事をするシーンが安心の象徴として描かれていることがありがたい。
彼女の脳の中身をのぞき見したような気分になる。シワのひだひだを広げ、中をのぞき込むようなイメージが浮ぶ。なるほど、子どもが語る物語とはこんなに興味深いものだったのか。
調べてみると、子どもが何かを物語りはじめるのは3歳半ぐらいだそうだ。それをよく示すのが「ごっこ遊び」で、年を追うごとにその設定や内容、物語展開が複雑化していくことからも、物語る力が徐々に成長していくのがわかる。そして5歳半ごろになると、子どもは結末部をあらかじめ予想し、起承転結をつけるような語り方(「談話文法」というらしい)を身につけるといわれている。
なぜ5歳半なのか。それは、認知容量が増えると同時に、さまざまな認知機能が出現し、またそれらがともに働くようになるからだ。
5歳半ごろになると、子どもの脳では時間の概念が成立する。すると、因果関係を推測するだけでなく、結果から原因を推測する力が備わっていく。他方で、物語をプランニングする力、物語がテーマとずれていないかなどを評価する力、接続詞や表現が適切かをモニタリングする力の3つが働くようになり、子どもは想像力の翼を広げられるようになる。
これらの能力が身について初めて、子どもは物語ること――つまり、もともと持っている知識を統合して、イメージを構成し、さらに言語化するという複雑な行為――ができるようになるのである。スゴイ。
ちなみに、子どもの物語に内面世界が色濃く表れるのは、幼児期までのことらしい。小学校入学後ぐらいからは社会的な規範に沿って物語の筋道を立てられるようになるため、主観的な体験が表現されづらくなってくるのだそうだ。
はーおもしろい。これからもさりげなく物語をリクエストしつつ、彼女の脳みその中をのぞいていきたい所存である。
<参考文献>
内田伸子『子どもの見ている世界 誕生から6歳までの「子育て・親育ち」』(文藝春秋社、2014)
↑幼児の保護者にとくにおすすめ
すでに登録済みの方は こちら