授乳の星座

深夜授乳にいそしむ私たちは孤独な6等星。
有馬ゆえ 2022.01.14
誰でも
photo/yue arima

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こんにちは。

新しい年がやってきました。いかがお過ごしですか? 私は年末年始をのんびり過ごし、いい気分ついでに新しいことを始めたくなり、家に眠っていたかぎ編み棒を手に取った結果、60歳を過ぎてかぎ編みチャンネルを始めた女性YouTuberという推しを見つけました。

さて今回は、6年前の冬に経験した深夜授乳について書きました。真夜中の六畳間で、私は世界でただ一人きりだと思っていたけれど。

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冬と言えば授乳で、授乳と言えば夜で、授乳の夜はただただ孤独だった。

6年前の夏の終わり、私は母になった。産後のよくあるハイテンションで気持ちよく秋を走り抜け、しかし冬が深まると同時に我に返った私は、気づけば夜更けの六畳間で震えていた。

雪が降るような寒い冬だったわけではない。妊娠、出産、子育てと怒濤のように肉体を酷使し、体が弱っていた。うっすら緊張していて睡眠がうまく取れず、授乳による栄養不足もあったのかもしれない。とにかく冷えた。冷えだけでなく、倦怠感、体が重い、疲れやすい、頭が重い、体がむくむ、貧血、めまいなど、女性誌の特集がいくつでも企画できそうな不定愁訴のオンパレードだった。

それでも赤子は容赦なく0時と3時に目を覚ます。もう時計のように、かっきりと。そして小さな声で親を呼ぶのだ。

眠りの世界から引きずり出され、のそのそと起き上がった私は、寒い寒いと身を縮めながら腰にダウン素材のスカートを巻き、肩に羽毛布団をかけて、ムーミン谷にやってきたモランみたいな姿で授乳を始める。そのたび、胸と一緒に空気にさらされたおなかがめちゃくちゃに冷たくなった。

寒さに凍えながらも、部屋の暖房を強くして眠ろうとは考えられなかった。か弱く暑がりな赤ちゃんのために部屋は適度な室温、適度な湿度、という強迫観念が頭にこびりついていていたからだ。毎晩、眠っている間に空気が乾燥しすぎて子どもに何かあったらどうしようと恐れていた。どうかしていた。

電気もつけず、布団の上で子どもが満足するのを黙って待つ。チュッ、チュッ、チュッ、チュッ、という小さく規則正しい音を聞いていると、六畳間の暗闇が墨汁のように窓の外に染み出していくような感覚に陥った。

宵闇の澱に沈んでいる。深海の底に、子どもを抱いて一人きり、座り込んでいるみたいだ。さみしい。世界から断絶されて、光も音も届かない。家のどこかに夫がいたはずなのに、誰もいなくて心細かった。

テレビやスマホを見る気力もなく、ただ子どもが乳を吸い終わるの待ち続けるしかない20分あまり、私はなぜここにいるのだろうかという疑問が頭をよくよぎった。乳は出るけれど、吸ってもらわねばその乳にも役割はない。自分が、子どもの生命を維持するための乳製造機を胸に取り付けた、がらんどうのハリボテに思えた。幸福で、意義深いことをしているはずなのに、心底むなしかった。

それから丸6年が経ったある日、話の流れから友人に何気なく「深夜授乳が孤独だった」と話したら、「孤独だったよね!」という返事があったのでびっくりした。

私たちの子どもは同い年で、しかも誕生日が3日違いなのだ。それなのに、同じように深夜授乳の冬を過ごしていたことに、私は気がつかなかった。まだ出会う前、彼女も真っ暗な部屋で胸を丸出しにして寒い寒いと震えていたのだ、と胸が熱くなった。

2015年の真冬の東京で、夜に紛れて授乳している当時の彼女と私が、ピピピピピ、と細い光の線でつながる。

あの頃、私が感じていた孤独は、決して私だけのものではなかった。六畳間の外に広がった宵闇の先には、彼女が、そして世の中からいないことにされている孤独な母親たちが何人も何人も点在していて、それぞれに心細さを抱えていたのだ。

ピピピピピ、ピピピピピ、と私たちをつなげる光が、東京中、日本中、世界中に広がっていく。もしかしたら、宇宙までも広がるだろうか。

私たちは6等星。描いた形には名も意味も与えられないかもしれない。でも、私のような誰かがいたという事実は、当時の痛みを少しだけ癒やす。冬の記憶棚にひっそりとしまわれた「私の孤独」は今、「私たちの孤独」に書き換えられている。

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bonyari.scope@gmail.com

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