せっかく主義

せっかく母になったんだから、軽やかに、おいしいとこ取りをして楽しむ、なんてできなかった。
有馬ゆえ 2023.07.21
誰でも
photo:Ayako Masunaga

photo:Ayako Masunaga

こんにちは。ライターの有馬ゆえです。夏ですね。暑いですね。

最近、子どもの上の前歯が両方抜けたため、かじらずに食べられるごはんの用意に困っています。食パンひとつとっても、私たちは前歯に頼って食べていたんだなあ。ただでさえレパートリーが少ないのに、もうすぐお弁当の時期までやってくる…。肉やソーセージ、ちくわ、ツナ、柔らかくなった一口大の野菜なんかを卵でとじて乗り切りたいと思います。

さて今回は、私が標榜している「せっかく主義」について。母親になり、人生を動かしてきた「せっかくだから楽しんでこーぜ」精神を見失ったことに気づかせてくれたのは、ある一冊の本でした。

***

小学4年生ごろ、玖保キリコの『いまどきのこども』(小学館)で、深く考えずに誰かの提案や予期せぬ展開に乗っかることを「せっかく主義」と表現している話があった。私はなぜかそれを気に入り、いつからか可能な限り「せっかく主義でやってみっか」とホイホイ乗っかる人でありたい、と考えるようになった。

思えば、大学時代の短期海外留学も、ウェブで書く仕事を始めたのも、編プロに入社したのも、結婚・出産したのも、この言葉のおかげだ。根が不安症で臆病だから、「せっかくだから」に含まれる軽薄でポジティブなムードに、心配や面倒くささを吹き飛してもらい、また勇気づけられ、鼓舞されてもいるのだろう。

しかし私は、妊娠してお腹が大きくなってきたぐらいから子どもの就学前後まで、この大切な言葉をすっかり忘れていた。

子育ての確たるイメージもなく母親になった私は、突然課せられたその肩書きに戸惑っていた。「宿し育てる」「産む」「乳を与える」などの身体的感覚の変化は、私を私でなくさせた。母親という生き物になろうとする自分の体に順応するため、ヘトヘトながらどうにか手を伸ばした『たまひよ』やInstagramのママアカウントにただよう現代の母親学を半ば積極的に内面化していた。一方で、型にはめられることへの反発心もチリチリ火花を上げていた。

例えば、生後1カ月の子どもを連れて産土神に参拝する「お宮参り」という風習がある。産土神というのは子どもが生まれた土地の神のことで、その人の一生の健康と命を守ってくれるという。その神に、赤子の顔見せをしにいく機会というわけだ。

へーなるほど、面白い。それじゃあ、まあやってみっか~、とせっかく主義を発動させたいところだが、当時の私にはできなかった。頭の中に渦巻いていたのは、万が一、自分や夫の親に文句を言われたときのわずらわしさ(妄想)と、伝統行事をしないことに対するうっすらとした罪悪感(世間体)と、母親としてキラキラした思い出を残しておきたいという欲求(見栄)だ。過去に雑誌かネットの記事で「昔の写真を見ると、小さい自分、何より若いときの両親の姿が見られるのがうれしいんですよね」という声を読んだことがあったので、なぜか将来の子どもの声まで聞こえていた。幻聴である。

一方で、旧来的な価値観を冷ややかに見つめる「新しい女」に罵倒されてもいた。

「大学院まで出ておいて、このあいだまで知らなかった日本の風習とか気にしてるの? いま2015年だよ? 母乳神話や布おむつ、三歳児神話がくだらない慣習なら、お宮参りも七五三もひな人形もくだらなくないですか? そもそもあなた、宗教嫌いで今まで神を信じたことって一度もないですよね? お賽銭も入れないしおみくじも引かない、初詣にも興味がない。お守りも買わない。それなのに、なぜ急にお金まで払って産土神にお参りとか言い出してるんですか?」

ホルモンに狂わされたからか、変化の荒波に飲まれていたからか、産前産後の私はかように聞こえない声を勝手に聞き取っていた。形のない常識に合わせようとする自分と、それを馬鹿にする自分のあいだで、常に苦しかった。

だからお宮参りも、軽やかに、おいしいとこ取りをして楽しむ、なんてことは思いつかなかった。自己否定する自分の声を浴びながら、子どもの寝ている貴重な時間を、お宮参りの申し込み、手頃な価格でまあまあ雰囲気のいい赤ちゃん連れOKのレストランのリサーチと予約、予算に合って悪くない評判で写真データがもらえる写真スタジオのリサーチと予約、関係者の皆さんへのお知らせなどに充てた。

結果的に言えば、お宮参りはなかなかいい思い出になった。

お宮参り当日は、家の近所の神社に両家が集まった。古い神社の狭くてボロボロの社殿に入った私は、ご祈祷がお宮参り数組と七五三参り5、6組をドッキングさせた形で行われるることを知った。「かしこみ~かしこみ~」と祝詞が響くなか、七五三参りの子どもたちは、目の前で繰り広げられる儀式にすぐに飽き、しかし耐えながらもぞもぞ座っていた。生まれて間もない赤ちゃんたちは、それをよそにぐうぐう寝ているか、弱い声で泣いていた。七五三の皆さんが、最後に知らない大人たちの前で急に抱負めいたものまで言わされていたときには、立派だなあと思ったり、恥ずかしいよねぇと同情したり。コロナ禍を挟み、お宮参りの後に両家で食事会ができたのも貴重な機会だったなと思う。

別の日に、家族3人の写真を子どもの祝い着を貸してくれるスタジオで撮影したのも楽しかった。スタジオに着くと七五三祝いの女の子ご一家が帰り支度をしており、「子どもは育つと自分で身支度をするんだなあ」と感心したものだ。

新生児を脱したばかりの我が子は、人というより虫かエイリアンのようで、されるがまま抱っこされ、されるがまま運ばれて大きなクッションに寝かされ、されるがまま強い光を浴びせられ、撮影されていた。今にも「ほよよ」と言い出しそうな口元をして、キョロキョロと眼だけであたりを観察していた。すごくかわいかった。

撮影中、我が子がうとうとしかけたのであわてていたら、カメラマンさんに「お母さんお父さん、顔に息を吹きかけて!!!」と指示を受けた。その勢いに飲まれて「ハイッ!」と背筋を伸ばし、明るい照明の中で夫と両脇から子どもの顔に一生懸命フーフーと息を吹きかけた。終了時刻が迫っていて、カメラマンさん、アシスタントさん、私たち夫婦の4人が「早く目を開けてくれ~! 時間内に全部撮影されてくれ~!!」と必死で念じていた。そのまぶたがふっと開いた瞬間、わーっとスタジアムに歓声が湧くような盛り上がりがあった。

記念写真に写る、逆立った髪で口を尖らせた祝い着姿の子どもを見ると、そんな思い出をめぐらせて、ああお宮参りの行事をしてよかったなあという気持ちになる。

だが、同時に、私は思い出すのだ。あのせき立てられるような、苦しい気持ちを。自分を責め立てる、自分の声を。記念写真の中にいるあり合わせの服とバサバサの髪の毛でうっすら作り笑いを浮かべて子どもを抱っこする自分の姿には、あの時期の戸惑いがそのまま写っている。

2022年の秋頃、平野レミの『ド・レミの歌』(中央公論社)を読んでいたら、こんな一節があり、子どものお宮参りのことを思い出した。

四か月の末ごろ、夫と水天宮に行った。夫は、いろんなしきたりはおもしろいからちゃんとやろうと言う。水天宮に行ったのは戌の日じゃなかったけれど、腹帯とお守りを買った。

(中略)

腹帯を初めて巻いたのは戌の日だった。お赤飯と鯛で軽く祝った。どうして戌の日が子どもに関係あるのかは知らない。夫は、

「犬の子は丈夫なんだろ」

と言った。

平野レミの夫、和田誠がいう「いろんなしきたりはおもしろいからちゃんとやろう」は、私の標榜するせっかく主義そのものだな、と考えて、ハッとした。出産前は嫌なこともいいことも「せっかくだから」と半笑いで楽しもうとしてきたのに、私はなぜ子どもに関することは人の目や誰かが決めた基準を気にして馬鹿真面目にやろうしてしまうのだろう? そんな必要、なかったのに。

それならば、と本にしおりを挟み、パタンと閉じる。

闘病中の父親の容態が良くなってから、と時期をうかがっていた子どもの7歳の七五三祝いをできる形ですぐしよう、と思った。みんなで神社に行くとか、ご祈祷とかはどうでもいい。近県に住むお義母さんに上京してもらい、私の両親の家で家族写真を撮り、これをもって我が家の七五三祝いとする! と心の中で声高に宣言する。

すぐにその計画を夫に相談し、両親に知らせ、仕事で知り合ったカメラマンさんに撮影を依頼し、夜な夜な子どもの晴れ着とせっかくだからと私の訪問着を検索してレンタルし、駅前の美容室で着付けの予約をして、義母が宿泊するためのホテルを取った。すべて面倒くさかったが、なぜか心は晴れやかだった。

気楽で、でもできるだけのことをした七五三祝いは、私たち家族にとってとても大切な日になった。

自分で選んだ濃い水色の晴れ着をまとった子どもはうれしそうで、ちょっと不安げで、なによりかわいくて私たちを和ませた。私たちの不安を嗅ぎ取り、はしゃいでくれていたのもあるのだろう。あまり体調がよくなかった父がスーツを羽織り、車椅子に乗って近所の公園まで出てくれたのもうれしかった。何カ月もつらそうな表情ばかり浮かべていた父はその日、始終笑顔で、私たちが帰ってからも「かわいかったなあ」と繰り返し話していたそうだ。

その1カ月と少しあとに、父は彼岸へ旅立った。

カメラマンさんから送られてきた写真の中で、ありきたりな住宅街の公園はどこかの美しい街の一角に変わり、そこで私たちは朗らかに笑っている。

父の病が進行し続けるつらい時期に、両家で集まることができて、みんなで顔を合わせて明るく笑えてよかったなと思う。きっと私は、親のためとか子どものためとか夫のためとかでなく、自分のためにその撮影を強行したのだ。私が、そうしたかったから。きっと「せっかくだから」は、娘として、妻として、母としての人生に翻弄されながらも、私がどうにか自分勝手な意思を通すためのありがたい言い訳にもなってくれているのだろう。

ちなみに、この原稿を書くために20年ぶりに『いまどきのこども』を開いたところ、「『せっかく主義とは、あとから発生したコントロールできない欲望を正当化して他者に言い訳する時の手段なのです」と説明されていた。どうやら私は脳内でせっかく主義の定義を書き換えていたらしい。いい加減だな~。

でもまあ、いいか。せっかくの一度しかない人生、私も和田誠を見習って面白そうなことはちゃんとやろうと思う。

<参考文献>

▼玖保キリコ「せっかく主義」(『いまどきのこども』8巻、小学館、1990.12)

▼平野レミ『ド・レミの歌』中公文庫、1984年

***

ご意見、ご感想、ご相談、ご指摘、雑談などあれば、このレターに返信するか、下記のアドレスまでお寄せください。どうぞみなさま、おだやかな週末を!

bonyari.scope@gmail.com

無料で「ぼんやりスコープ」をメールでお届けします。コンテンツを見逃さず、読者限定記事も受け取れます。

すでに登録済みの方は こちら