「科」のつかない時間
photo:yue arima
こんにちは。ライターの有馬ゆえです。
花粉の季節ですね。今年は目のかゆみと肌荒れがひどいです。花粉の質とか温度、湿度が関係しているのか、それとも加齢やホルモンバランスのせいのか。かかりつけ医からは「ゾレアっていう注射もあるよ~」と言われたものの、高価なのと注射は嫌なのでパス。その代わり、今年は飲み薬と点鼻(しつこくおすすめしたい粉末点鼻のエリザス)に加え、歯周病予防も兼ねてロイテリ菌で腸活しています。私的には一挙両得……のはず。なのになぜこんなに鼻水が出るのだろう
口の中の善玉菌を増やして虫歯菌、歯周病菌を減らすことをバクテリアテラピーと呼ぶそう。欧米では第三の歯科治療と言われていて、ロイテリ菌は日本人が最初に発見したんだって。以前、口腔ケアの取材で教えてもらいました。photo:yue arima
今回は、教育支援センターに通う子どもについて思うことを。子どもが学校に行かない日々の楽しさと不安について。
子どもが自治体の教育支援センターに通いだし、半年が経とうとしている。教育支援センターとは、自治体の教育委員会が設置している、長期で学校に行っていない小中学生のための施設だ。私たちが住む地域の場合、小学生のうちは送迎が必要なので、朝か夕方のどちらか徒歩30分ほどの距離を子どもと一緒に歩いている。
朝、私たちは一般的な小学生より1時間ほど遅れて家を出る。9時10分、いや15分、20分。それより遅れることも、時間通りに出て図書館に寄ってから行くことも。夫婦ともに自営業なので、時間と気持ちの余裕がある範囲で子どものペースに合わせている。
保育園に通っていた6年間から1年半ぶり二度目の送迎は、意外と楽しい。その醍醐味は、うつろう季節のなかをおしゃべりしながら歩く、というところにある。
駅に向かう通勤、通学の波が収まった静かな午前中、私たちは住宅街を内側へ、内側へと歩いて行く。このあたりに住んでいる人しか通らない道を、今日はあっち、明日はそっちへ。
あちーあちーと日陰を選んで歩いていた残暑の日々は遠い昔、そこここに咲いた秋薔薇の香りを比較し、紅葉した落ち葉をガサガサと踏んで回り、コートの前を合わせてスズメの集う生け垣を見つめたり、霜が降りている土を探したり、さざんかと椿の違いをスマホで検索したり、沈丁花の香りにうっとりしたり、木にメジロを発見して喜び合う。雨が降れば生け垣の中で鳴くカエルをながめ、雨上がりには出てきたミミズをよけて歩き、あるいは道路に出てきてしまったミミズを街路樹のふもとまで運び、雪が降れば公園を通ってかじかむ手ででかい雪だるまを作る。
近所のお宅の塀と家屋のあいだの狭いスペースに、ひょろりとした蝋梅(ロウバイ)の鉢植えが置いてあるのを見つけて興奮していたら、すでに子どもがそれを知っていた、ということもあった。
「そうそう! それいいにおいだから、去年、毎日学童の帰りにかいで帰ってた!」
蝋梅は1月から2月に花が咲く低木で、小ぶりで分厚い蝋細工のような花からは高貴な甘い香りがする。1年生の三学期、黄色い帽子をかぶってランドセルを背負った我が子が、蝋梅の前でふと足を止めて鼻を近づけ、それからまた歩き出す様子を思い浮かべる。胸が熱くなる。
ああ君は、その頃も一人でこの世界の美しさを味わっていたんだね。その少し前、じいじが天に旅だって、君はまだ気持ちが落ち着かなかっただろう。そもそも、学校に通っていた頃の君は、知らず知らずのうちに毎日疲れを溜めていたのだった。生活の中に散らばっている小さなよろこびを集めて、毎日を頑張っていたんだね。
不登校などの小中学生が通う教育支援センター(旧・適応指導教室)は2023年2月時点で全国に1273つあり、これは7割程度の自治体に設置されているということらしい。自治体によってはいまだ適応指導教室とも呼ばれるが、これは「不登校=不適応」という感じのする嫌な名称だなと思う。基本的には公立小中に通う子どもを対象にしているが、少数ながら高校生や私立、国立の学校に在籍している子どもが通うケースも。また横浜市や福岡県には、私立中高生向けの支援センターもある。
多くの教育支援センターが持っているのは、教員などによる学習支援の機能と、臨床心理士や精神科医によるカウンセリング機能だ。他にも、運動やレクリエーション、制作、調理、英会話などの時間があったり、課外活動、合宿、保護者会などが行われたりしており、公的機関なので基本的に無料で利用できる。多くの場合、教育支援センターに行った日は在籍校で「登校した」という扱いになるのも特徴だ。
ここまで聞くと「公的なフリースクールみたいでいいじゃん!」と思うかもしれないが(かつての私はそうだった)、なかなかそううまくはいかないらしい。
まず、不登校になった子どもやその保護者が、教育支援センターという場所があると知ること自体が難しい。自治体が積極的に周知していなかったり、小中学校の教員がその存在や意義を認識していなかったりするからだ。また、幸運にその存在を知れたとしても、不登校から引きこもりがちになってしまった子どもは足を運べないだろう。
家の外に居場所を求めているのに教育支援センターには行けない子どもたちもいると聞く。教育支援センターは使われなくなった学校の校舎内を利用していたり、退職教員の再就職先になっていたりするため、学校より学校らしい雰囲気になってしまうことが少なくない。そうなると、学校という場所自体にトラウマがある子どもは通うのが難しいのだ。積極的な教育支援に乏しく、学習の時間は基本的に自習のスタイルが大多数で、年齢的に、また特性的にそれができない子どもが排除されがちだという現実もある。
2019年に文科省が出した「不登校児童生徒への支援の在り方について」によれば、現在、不登校支援の目的は「学校に再び登校すること」のみならず「自らの進路を主体的に捉えて社会的に自立すること」とされている。つまり、教育支援センターは社会的自立を目指すための学びの場であるべきなのだ。実際、NPOカタリバが運営する雲南市の教育支援センター「おんせんキャンパス」のように、学校の代替という役割を越えて、子どもとその保護者が安心して過ごせる、学べる居場所になっているところもある。しかし、残念ながらそれは珍しい例だ、
公立の学校に行けない事情があるだけで、国から無償で与えられるはずの教育を受けられなくなる。これがまともな公教育の在り方だろうか。金銭的に余裕のあるご家庭はフリースクールや有名教材、塾通いなどにお金を費やせるかもしれないが、私は明日のご飯を心配する系の普通のライターなのだ。えーっと、だからこそ公立の学校を選択してるんだけどな。
子どもが通う教育支援センターは、元中学校の建物の一部に設置されている。常駐しているのは10人ほどの現役を退いた先生方だ。
所属している児童、生徒は自治体の公立小中学校に在籍している40人ほどで、その多くは中学生だ。普段は1日に10~20人が来るようだが、ただし雨の日はめちゃくちゃ人が少ない。来る時間も帰る時間も自由なため、早めに帰る人、午後に来る人、朝からフルタイムでいる人などさまざま。終わり頃にやってきてすぐ帰ってしまう中学生をよく見かけるので、高校進学に必要な出席日数を稼ぐため、わざわざ足を運ぶ人もいるのだろう。そのだれに対しても先生方は優しく、帰り際には必ず4階の教室から校門まで雑談しつつ見送りに行くのがいいなあと思っている。
小学2年生の我が子はといえば、ほぼ毎日始業から終業までの約5時間を教育支援センターで過ごしている。「好きなことしていいのがいい。適度に勉強もできるし。居場所だと思ってる」のだそうだ。自分好みの筆記用具に、好きなだけキーホルダーをつけたリュックサック。上履きも、体操着も、ランチョンマットも必要ない。小1から中3までの異年齢の少人数、かつ個々がマイペースに過ごしていて、ルールや同調圧力があまりないところが快適なのだろう。
教育支援センターにほぼ毎日通う固定メンバーは10人ほどで、構成は小学生と中学生が半々ずつ。自習室のような個別ブースの並ぶ部屋で過ごす人と、数人が一緒に過ごす大部屋で過ごす人がいて、我が子は後者だ。ドリルに取り組んだり、絵を描いたり、本を読んだり、中学生が教えてもらっている歴史や政治の話をよくわからないながら一緒に聞いたり、同学年の友達と工作をしたり、お兄さん、お姉さんとおしゃべりをしたりと、日がな一日、「科」のつかない時間を過ごしている。週に1~2度、英会話やパソコン、レクリエーションの時間があり、異年齢で過ごすのも楽しいらしい。一番のお気に入りは、昼食後にカードゲームやボードゲームをして過ごす休憩タイムだ。
その日の出来事を楽しそうに教えてくれる子どもを見ていると、心からよかったなと思う。明日を楽しみにふとんに入れることが、どれだけ幸せなことか。ひるがえって、足が痛い、頭が痛い、学校に行きたくないと玄関に泣いて座り込んでいたあの頃、授業中に頭が痛くなって毎日1時間は保健室で休んでいたあの頃、宿題を泣き叫んで拒否していたあの頃は、どれだけ辛かったのだろう。それを想像して涙が出るのは、私が甘い親だからだろうか?
子どもが就学して、今の小学生の勉強量に驚いた。登校後、朝の自学をして4時間授業を受け、給食を食べたら帰りの自学をして下校し、放課後にも宿題をする――そんなスケジュールを離れ、1日にドリルを1ページやればドヤ顔で報告してくる子どもに、焦りがないと言えば嘘になる。2週間に一度、小学校に行って担任から授業で使った漢字や計算、書き取りなどのプリントを受け取るときなんて「これだけクラスメイトから遅れを取ったのですよ」と告げられたようで心が大きく揺れる。
このままでいいのか。不安に駆られて「もっと勉強しなさい」と口走り、子どもを否定して傷つけたことが何度もある。冬休みには宿題を強要した結果、プリントが2枚終わったころにはストレスで消しゴムが粉々にちぎられていた。信じて待つ。黙って見守る。文字にするのは簡単だが、あまりに偏差値教育に頭を侵されている。
私たちは毎日毎日同じ道を歩く。けれど目に映る景色は、毎日毎日移り変わる。草木が伸び、花が咲き、花が散り、緑がぐんぐん伸びて、別の花が咲き、散り、葉の色が変わって落ちて、木は丸裸になる。背景に広がる空の色、雲、やってくる鳥や虫、太陽の光の向きや強さ、色合い、体を包む湿度と温度と空気の重さ、におい、動き、そのすべてが少しずつ移り変わっていく。
心が震えるのは、トタン屋根の古い家の庭に咲く紅赤のさざんかが、冬の白く強い光に焼かれている、そんな瞬間。アスファルトのはじっこに小指の爪ほどもない雑草のひと葉が芽吹き、太陽のスポットライトのなかできらめいている、そんな瞬間。
教育支援センターでの子どもの毎日を「教科書にない学び」だなんてきれいな言葉で語ることは、私には到底無理だ。教育指導要領に沿った勉強をほとんどせず、集団でともに考えたり、ぶつかって妥協し合ったり、そうした経験をしていない子どもがこの先どうなっていくのかは、だれにもわからない。私にできるのは、もしこの選択を後悔するときが来たとしても、いま目に焼き付けている季節のきらめきが、それを味わう幸福が、彼女の人生の救いになってほしいと願うぐらいのこと。私たちとおしゃべりしながら歩いた毎日が少しでもいい思い出になってほしいと祈るぐらいのこと。
どうかあたたかな春がやってきますように。
<参考文献>
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bonyari.scope@gmail.com
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