夜と朝のあいだを照らす

娘と一緒に、夜と朝のあいだを見に出かけた。娘は懐中電灯で足元を照らしてくれた。
有馬ゆえ 2021.03.19
誰でも

こんにちは。春めいてきた3月の良き日に、初めてのニュースレターをお送りします。今回は、1月のある日、夜にあこがれる娘と散歩に出た話。

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5歳の娘は、夜に強い憧れを抱いている。21時台に目をつむったら最後、朝の7時ぐらいまでワープしている人にとって、謎めいて魅力的な時間帯なのだろう。私たち夫婦がたまに映画を観たり、おやつを食べたりしているとも薄々わかっているので、よけいなのだと思う。いつか彼女も、ちびまる子のように「私は夜の女王!」などとやってほしい。

さて、いま彼女がもっともしてみたいのは、クラスメイトもまだ起きていない夜に、大好きな懐中電灯を持って外を歩くことなのだという。そこで1月のある日、私は夜明けの散歩を決行することにした。

「明日の明日、夜と朝のあいだを見に行こう」と誘うと、娘は狂気乱舞したのち数日間をわくわくして過ごし、前日の夜など怖いぐらいに粛々と就寝準備を進め、母の髪の毛を触りながら眠りに就くという生まれてこの方欠かしたことのない習慣を断念して寝た(隣に父親はいる)。私が「一緒に布団に入らずに仕事をしないと、早起きして出かけるのは難しい」と告げたためだ。

そして迎えた当日、私は4時半、娘は5時に起床した。トイレ、きがえを済ませ、黄色いリュックに懐中電灯と温かいお湯の入った水筒、「公園でバナナも食べたい」とビニール袋に入れたバナナを大事そうにしまう娘。眠たい目で支度を手伝ってくれた夫に手を振り、私たちは帽子にマフラー、手袋(と、私は貼るカイロ2つ)の重装備で家を出た。

極寒の冬の夜明け前、娘は初めての宵闇に興奮気味だ。「そうだ、懐中電灯つけなきゃ!」とリュックを探り、取り出した相棒をピカリと光らせた。キーンと冷たい空気の中、はあ~、はあ~と白い息を楽しんで歩く。くすくすいひひの笑い声が夜道に沈む。久しぶりにマスクなしで歩くのが気持ちいい。通勤の人どころか朝ランナーすらほとんどいない住宅街で、私たちは手をつないで、隣駅の公園を目指した。

マフラーに顔を埋め、肩をすぼめながら急坂をのぼると、橙色の電灯が並ぶ大通り。ときおり通り抜ける車が立てるスーッという音が懐かしい。独身時代、友人や恋人と夜を過ごして帰る道によく聞いた音。

やがて大きな橋を渡って目的地が見えてきた。思わぬ園内の暗がりに身がすくみ、娘の手をぎゅっと握る。小さいけれど頼もしい手。うすぼんやりと浮かび上がる道を公園の奥へ進んでいく途中、暗すぎてけつまずいた私に、その手は懐中電灯で足元を照らしてくれた。

遊具が見え、娘がダッと駆け出す。楽しい気持ちは動力なのだ。夜中に降っていた雨のせいで遊具はブランコも滑り台も薄く凍っているが、そんなのおかまいなしで彼女は遊ぶ。昼だろうが夜だろうが朝だろうが、晴れだろうが雨だろうが雪だろうが、彼女は遊ぶ。数本の蛍光灯がジジジと鳴る暗がりで、ブランコをぐんぐんこいでいる。じっと見ていた体がぶるっと震えた。

気が済んだのか、娘は「バナナ食べる」とすたすた歩いて冷たい石のベンチに腰をかけた。鼻歌まじりにいそいそ皮をむいて、かぶりつく。「夜と朝のあいだに出かけて公園でバナナを食べる」という目的を果たし、さぞかし満足なことだろう。

見上げると、群青の空にいくつも星がきらめいている。娘が、唯一知っているオリオン座を見つける。「いち、にい」と数え始めるが、広い夜空の星を子どもはまだうまく数えられない。全部でせいぜい30ぐらいだろうか、ああ、冬の雨の翌日は東京でもずいぶん星が見えるんだなと、東京にしか住んだことのない私は思った。

こんな日は冬独特の美しい夜明けが見られちゃったりして、などという私の期待は外れ、なんとなく空がしらじらと明けてくる。娘はバナナを食べ終わるやいなや「寒いからもう帰りたい」と私の顔を見る。こごえたつま先を一歩前に出す。「かえろかえろ」と再び手をつなぎ、中途半端な普通の朝を家まで歩きだす。「おしっこしたい」などと言い出す前に、家に着かなくては。

なんてどうでもいい貴重なときだろう。奇跡も起こらず続く日常が、私たちにとって一番の平和なのだと知る。

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