クラスメイトのシャンティさん

外国にルーツをもつ人たちと、人種で差別された経験と。
有馬ゆえ 2023.12.08
誰でも
東京都の外国人住民の数は58万1112人で都内の全人口の4.20%にあたる。photo:yue arima

東京都の外国人住民の数は58万1112人で都内の全人口の4.20%にあたる。photo:yue arima

 こんにちは。ライターの有馬ゆえです。

 11月に「朝日新聞EduA」で精神科医の松本俊彦先生に取材した自傷行為に関する記事が公開されました。

 これは、学校に行かない子たちを育てる保護者のオープンチャットで小学生までもが自傷行為をしていることを知り、ショックを受けて立てた企画です。リストカットやオーバードーズの経験者としては、子どもの衝動は理解できる。でも保護者の立場に立てば、冷静に対処できる自信がない。そんな思いで作りました。必要な人のところに届いていたらいいな。

 さて今回は、子どもの世界を眺めていて思いを馳せた、外国にルーツを持つ日本の人たちについて書きました。

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 子どもの筆箱に、ミニオンの形をした小さな消しゴムが入っていることに気づいた。子どもが小学1年生の終わりの頃だ。

 見覚えがなかったので「これどうしたの?」と子どもに尋ねると、クラスメイトのシャンティさんにもらったと言う。「それかわいいね~」と話しかけたら、シャンティさんがスルドク「ほしい?」と聞き返してきて、そしてそっと手渡してくれたそうだ。二人のやりとりがかわいくほんわかした気持ちになったが、聞けば授業中のことらしい。あとでやれ。

 シャンティさんは、1年生の夏休み明けに外国から転校してきた女の子だという。ちなみに、名字ではなく名前がシャンティさん。まだおしゃべりはぎこちないところもあるようだが、我が子に宛てて書いてくれた手紙には、ひらがなも漢字も正しく使われていた。

 私が暮らす地域では、ミックスルーツの人や外国籍の人など、海外にルーツを持つ人たちをちらほらと見かける。我が子のクラスでも毎年30人中3~5人ほどはそうした子どもだし、保育園や近所の公園でも欧米からアジアまで、本当にさまざまな国のルーツを持つ子どもたちを目にしてきた。

 小さい頃から日本に住む彼ら、彼女らは日本語がペラペラで、未就学児でも海外で育った親よりも言葉をうまく操る子どもがいるほどだ。それだけではない。日本の文化のシャワーを浴びて、日本の身体性を身につけている。小学生になればランドセルの横に給食用のランチョンマットの入った巾着をぶら下げ、体操着と上履き袋を振り回して歩くようになる。そして友達と区の施設のフリースペースでファミチキをかじりながら「まじウケんだけど」などとダベったり、すべりだいの上でニンテンドースイッチをつなげあってスプラトゥーンやポケモン、マリオカートにいそしんだりするのだ。

 子どもの保育園のクラスメイトだったイタリア人のマリアちゃんのお迎えに、お兄ちゃんのジンくんが来た時のことは忘れられない。絵に描いたようなヨーロッパの美少年なのに、めちゃくちゃに口が悪く乱暴な小3の悪ガキだったからだ。そのギャップだけでなく、そこに勝手にギャップを感じる自分の偏見にもおののいた。私のなかには、確かに差別意識があるのだと自覚した。

 あるワークショップに参加したとき、これまで20年以上、子育て中の海外にルーツをもつ親たちと関わってきた石原弘子さんという女性と出会った。

 弘子さんは2000年に「にほんごの会くれよん」を立ち上げ、海外から来た親、特に母親たちの日本語習得支援をしたり、育児相談に乗ったりという活動を始めたそうだ。しかし活動を続けるうちに、弘子さんはある違和感を抱く。アメリカ、イギリスなど欧米諸国の親たちが子どもに対して熱心に母国語を教えるのに対し、アジア、アフリカの親たちは母国語を封印してしまうのだ。

 弘子さんはアジア、アフリカ出身の親たちに尋ねた。

「なぜ母国語で話さないの?」

 そこに返ってきたのは、ショッキングな答えだった。

「日本では私の国の言葉は必要ない。子どもにも教えなくていい」

 彼ら、彼女らは、日本に一生懸命なじもうとして子どもに日本語を覚えさせている。家庭で母語を話さない人もいた。でも。弘子さんは考える。それでは、自分の国や出自や自分自身を否定していることになるのではないか――? 

 そんな悲しいことがあっていいはずがないと、弘子さんは海外にルーツを持つ親子が母語や自国の文化を失わずにいられるよう、また日本の子どもたちが他国の言語に関心を持てるよう、「多言語絵本の会RAINBOW」をスタート。多言語での絵本の読み聞かせや、多言語に対応した電子絵本の制作などを行ってきた。

 なんて立派なんだろう、私も弘子さんみたいに隣人の役に立ちたい、と考えながら、私はシャンティさんのことを思い出していた。

 シャンティさんが日本の身体性を身につけていくとき、彼女の何かは確実に失われていく。たとえそれが彼女にとって楽しい生活だったとして、シャンティさんのパパやママは自分のアイデンティティーをどんな気持ちで見つめるのだろうか。それを不要な物、わずらわしい物だと思わないでいられるためには、私は何ができるのだろう。

 大学1年生の春、私はパリに1カ月半の短期語学留学をした。初めての海外は多くの初体験にあふれていて、その一つが人種差別を体感することだった。

 同じクラスのドイツ人の男の子にはよく「日本人だから鼻が小さくてチビだな」と罵られたし、街ですれ違うフランス人らしきティーネイジャー男子や、黒い肌の中東系の男性たちには頻繁に「シノワ!(中国人)シノワ!」とからかわれた。怖かったのは、黒い肌をした体格の大きな男性たち(不思議なことに男性しかいなかった)に観光地で絡まれたり、急に大きな声で知らない言葉で冷やかされたり、荷物をひったくられたりしたことだ。私に対する彼らの振る舞いには、冷笑や嘲りにさえ、どこかうっぷんを晴らすような空気が感じられた。しばらくして、彼らがアルジェリアなどにルーツを持つ移民であること、そしてフランスでは差別される側だということがわかった。

 街には郵便局と同じぐらいの数の中華のデリがあって、私はよくそこで買い物をした。たとえ話すのはフランス語でも、自分と似た姿形をした人たちに混じっていると、自分の輪郭がボンヤリするような安堵感があった。ここの近くにはきっと中国系の人たちが寄り集まって住んでいるのだろう、とたびたび想像し、安心した。

 ただ私が日本人だというだけで、いったいなぜこんな扱いを受けるのか。その屈辱的な気持ちは特にフランス語習得の燃料にはならなかったが、私は差別されることのやるせなさを少しぐらいは理解したと思う。そして、自分が味わった嫌な思いを、当時聴いていたハロー!プロジェクトや椎名林檎などの曲の替え歌にしてノートに書き付けた。

 総務省のデータによれば、2023年1月1日の時点で日本における外国人住民の数は299万3839人で全人口の2.39%。これは調査を開始した2013年以降、過去最多だそうだ。私の住む東京都では、外国人住民の数は58万1112人と都内の全人口の4.20%を占め、全国でもっとも比率が高い。

 日本に住む海外にルーツを持つ人たちには、私が味わったような苦い経験をしてほしくない。だから自分も、差別的な言動はできるだけしないようにしたいと思う。だが一方で、私はきっと圧倒的な多数派の一人として、日本人の普通を押しつけてしまうことがあるだろうという恐れもある。多様性という言葉は美しいけれど、実際差別とはとても無意識的なものなのだ。だからときに、外国から来た子どもの保護者を前に、何を話していいか分からずフリーズしてしまったりする。

 そんなことを考えていたら、友達と遊んで帰ってきた子どもが「シャンティさん、自分の国に帰っちゃったんだって」と残念そうに教えてくれた。

「でもね、シャンティさんの座ってた席には、キム・ヒナさんが座ってるんだって。キム・ヒナさんとはジェスチャーでおしゃべりできるんだよ。あと、おいしいねとか、ニコッてすればニコッてしてくれるから」

 ああそうだよな~と、恥ずかしくなる。つま先立ちで遠くばっかり見ようとしていた私の足元が、サッと太陽の光で明るくなったような気持ちになる。

 日本という国で暮らす以上、多少は日本語で会話をすること、日本の文化になじむことが海外ルーツの人たちには必要だろう。だからこそ、その母国語や文化を、興味本位や過度な配慮ではなく、どうやって尊重できるのかを考えなければいけない。

 だが、もっと前に私たちがすべきことは、彼ら、彼女らに「あなたがいていいですよ」と示すことなのだ。ジェスチャーで話して、ニコッと笑って、天気の話でもする、ごく日常の肯定的なコミュニケーション。それをたくさんたくさん積み重ねていくことのほうが、こわばる顔でよくよく考えてひねり出した言葉よりも、ずっと大切なことなのだろう。

<参考文献>

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