オバタリアンの娘

私ね、オバタリアンの気持ちがわかっちゃったかも。
有馬ゆえ 2024.02.23
誰でも
photo:yue arima

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 こんにちは。ライターの有馬ゆえです。みんな~! 沈丁花が咲いたよ~~~!! 

 年末のレターでアンケートにご協力くださった皆さま、どうもありがとうございました。今回は、リクエストをもっとも多くいただいたオバタリアンにまつわる話を書きました。

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 意思決定が増える分だけ作業効率が下がる、という話をラジオで聞いていて、子どものころにテレビで観たある人物が頭に浮かんだ。ソファーに横になってバリバリとおせんべいを食べながらテレビを観ている、もじゃもじゃパーマ頭の中年女性だ。彼女は「オバタリアン」と呼ばれていた。

 それは、小学校高学年の頃に放送していた「わてら陽気なオバタリアン」(フジテレビ系)というテレビ番組のワンシーンだった。Wikipediaによれば、この番組はマンガ『オバタリアン』(竹書房、連載は1988年~)を原案として、1989年からフジテレビのゴールデンタイムスペシャル枠で放送されていた特番の一つだという。ゾンビの出てくるホラー映画『バタリアン』(1986/アメリカ)と「おばさん」を掛け合わせてオバタリアン、なのだそうだ。

 テレビが一家に一台という時代で、私はそれを居間で祖父とともに夕食後の果物を食べながら観ていたのだと思う。祖母はキッチンで食器洗い、仕事に出ていた母は帰宅前、という時間帯だった。

 野暮ったい見た目をしていて、人目を気にせず大声で話したり、井戸端会議をしながら大きな口を開けて笑ったり、スーパーのレジの列に横入りしたり、バーゲンでセール品の激しい争奪戦を繰り広げたり、家事をさぼってダラダラ昼寝をしたりしているオバタリアンたちは、番組で「笑える存在」「恥ずかしい存在」として扱われていた。

 彼女たちは、私の親世代の主婦たちだったのだろう。だが、デパートの婦人服売り場で働くおしゃれな母と真面目で働き者の祖母と暮らす私にとって、オバタリアンとはフィクションそのものだった。あるいは、日本のどこかにいる、という都市伝説のような存在だった。

 テレビの前で、私は祖父と一緒になってオバタリアンの生態を笑っていた。ただ一方で、胸にはもやっとかすかな違和感が立ちこめてもいた。

 それは、なぜ彼女たちが戯画化されなければいけないのか、という疑問だったのだと思う。思春期にさしかかったばかりの私は、まだそれほど世の中における女らしさの価値を理解しておらず、同時に世間から求められる女らしさをうとましくも感じていた。

 我が子が2、3歳の頃だったか、友達と公園で子どもを遊ばせていて、自分が幼い時分に不思議な目で見ていた「ブランコを取り囲む柵に座っておしゃべりするおばさん」になっていることに気かがついた。

 エウレカ!

 自分の姿を俯瞰し、記憶の中のおばさんたちを重ねて思う。あのときのおばさんたちは、子どもの遊びに付き合ってあげたいけれどすごく疲れていて、ブランコの柵に座ってつかの間の休息を取りつつ、ママ友と世間話をしてストレス解消したり、情報交換をしたりしていたのだ。

 子どもを持ってから、子どもを持つ人たちは疲れているのだ、という事実を知った。子どもをいつも抱っこしているとか、深夜に夜泣きで目が覚めるとか、体力が有り余った幼児と公園で遊ぶとか、そういうことももちろんある。ただそれ以上にしんどいのは、子どもと暮らしながら数多くの意思決定をし続けなければいけないことだった。

 思えば、私は妊婦時代からそれに疲弊していた気がする。出産する病院にしろ、妊婦検診の日取りにしろ、産前産後の仕事の仕方にしろ、何かを決めていくためには、一から情報を集め、選択肢を並べ、比較検討しなければならなかった。「ツーウェイオール」だの「B型ベビーカー」だの「バウンサー」だの聞いたこともない子育てグッズが30以上並ぶリストを手にアカチャンホンポをさまよっていたときは、疲れと混乱で泣きわめきたくなった。店内には、同じようにリストを手にいら立つ妊婦が何人もいた。

 初めての育児は、新しい職場で仕事をするようなものだった。使われている用語も道具もほとんど知らないものばかりで、しかもクライアントは成長するため日々ニーズが変化する。産後の1年間、ほとんど毎朝、気温に合わせた服選びをするために雑誌「ひよこクラブ」をめくったり、ウェブ検索したりしていたのを覚えている。Amazonや楽天では、毎日のようにオムツやおしりふき、石けん、シャンプー、洗濯用洗剤、出産祝いの返礼品、育児本、子ども服(0歳児だけでサイズが50から70~80まで変わる)、離乳食グッズ、絵本、おもちゃなどを比較検討し、注文していた。仕事を再開するための公的支援や保育園について手はずを整えるのも、骨が折れた。

 子どもが小学生になって驚いたのは、提出物の多さだ。学期の初めは山ほど、普通の日でも週に一度は何かしらの締め切りがある。しかもスケジュールがタイトなのだ。読んで確認し、署名などして提出するだけの書類はまだいい。手間なのは、雑巾を作ったり、個人面談の日程を調整したり、縄跳びや絵の具セットの色を子どもに選ばせて代金を封筒に入れて申し込みをしたり、お菓子の箱やラップの芯を集めて持たせたり、運動会のために指定の色のTシャツを買って持たせたりすることだった。

 日々のタスクも増えた。宿題の音読を聞いてはプリントに判を押し(隣の学校では宿題の丸付けも保護者の仕事だそうだ)、「消しゴムなくした」「ノートがなくなった」の報告にすばやく対応し、休日に遊ぶ約束をした子どもの保護者と予定を調整し、習い事をしたいと言われて情報収集と体験の申し込みをし、PTAの資料を作り、頭の中がてんてこ舞いだ。

 地味なタスクを切っては投げ、切っては投げしてきた9年間。そこにはいくつもの小さな意思決定があり、トライアルアンドエラーがあり、PDCAがあった。30代後半になるまでわからなかったけれど、すべての母はワーキングマザーであり、外で仕事をする母はダブルワーカーなのですね。子どもが二人、三人いるご家庭は、どんなに大変なことだろうか。

 意思決定が増える分だけ作業効率が下がる。その話をラジオで聞いて私は、自分がわずかな一人の時間を死んだ目でおせんべいをバリバリと食べながらテレビを観て過ごすしかできないのは、家事や育児にまつわる意思決定に疲れ果てているからだと自覚したのだ。そして、思ったのである。ってことは、あれ、同じように過ごしていたあのオバタリアンも疲れてたんじゃね?

 1989年の日本では、まだ「フルタイムで会社勤めをする夫と専業主婦の妻、子どもは二人」という家族構成が標準的だったといわれる。オバタリアンの多くは専業主婦、あるいはパートタイマーで、主に夫と子どもの身の回りの世話と家事をして暮らしていたのだろう。

 小学校低学年のときの友達の家で、よく見た光景を思い出す。夕方になると公務員のお父さんが帰ってきて、居間のはじでスーツとシャツを脱ぎ、らくだ色の肌着姿のまま両手を横にまっすぐ伸ばして立つ。そこに、男物の着物を持ったお母さんがやってきて、微動だにしないお父さんに手際よく着せていく。家着に着替えたお父さんは、座布団の上にあぐらをかいて新聞を読みはじめる。お母さんはお父さんの脱いだスーツをハンガーにかけ、シャツを洗面所に持っていき、夕食の支度をしに台所に戻っていく。ここまで極端でなくても、同様の夫婦関係は珍しくなかったはずだ。

 家族分の食事やお弁当を作り、洗濯をし、掃除をし、アイロンをかけ、買い物に行き、子どもの世話をし、PTAだ行事だと学校に呼び出され、町内会でお茶くみや社交をし、ときには実家に顔を出し、お中元やお歳暮、お年賀を用意して。もしかしたら姑や舅にいびられたり、家計の苦しさや子どもの思春期、親の看護や介護で悩んだり、更年期障害で体調が悪かったりしたかもしれない。そんな生活の中で女らしく振る舞えなくなった/振る舞わなくなったオバタリアンの姿は、本当にみっともないものだったのだろうか。

 1989年、「オバタリアン」という言葉は流行語大賞金賞を受賞しているが、その銅賞には栄養ドリンク「リゲイン」のCMのキャッチコピー「24時間タタカエマスカ」がある。このフレーズには、サラリーマンたちに向けて「栄養ドリンクを飲んで長時間労働を乗り切ろう」というメッセージが込められている。日本経済が成長できるよう、男は表舞台で長時間労働を、女は舞台裏で家庭内長時間労働を役割としてモーレツに強いられる時代だったのだ。社会がそういう仕組みで動いていた。

 1985年に男女雇用機会均等法が制定されるなど、1980~1990年代前半は男女平等の気運の高まり、社会は少しずつ変化していた。それにもかかわらず、お仕着せの女らしさを脱ぎ捨てた中年女性がゾンビを思わせる呼称で呼ばれていたのは、自立していく女性たちが正体不明でどこか非人間的な存在として恐れられていたからなのではないかと思える。

 あれから30年以上経って、社会はどれだけ変わっただろうか。男も女もそうでない人も、私たちは社会からどれだけ人間として扱われているだろうか。自分をどれだけ人間として扱っているだろうか。

 今、私の中には、中年になった自分をどこかで恥じる気持ちが残念ながらインストールされてしまっている。女らしさという偏見を、まんまとすり込まれている。だが、オバタリアンを通して自分を見ると、こんなふうに思えるような気がしてくる。――私はオバタリアン世代ががんばって育ててくれた娘。長く生きていることをそんなに恥じなくてもいいのかもしれないよ、と。

<参考文献>

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