赤い楕円(だえん)

5歳児の下着に、水の多い水彩絵の具を落としたような赤いしみがついていた。
有馬ゆえ 2022.07.15
誰でも
photo:yue arima

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こんにちは。ライターの有馬ゆえです。

生理が今までにない短期間でぱたっと終わり、かと思えば、次はふいに予定より早く始まって、長く続いてようやく終わる。これはもしやと婦人科で相談すると、私はいよいよ閉経の入り口に立っているようです。バンザイヤッターおつかれもうひとがんばりだ、私の体。と浮き足立つと同時に、自分の体をにわかに支配してきた生理との付き合いが、少し経ったら娘の体で始まるかと思うと憂鬱でもあります。

今回は「赤い楕円(だえん)」をお送りします。あれは、2年前のことじゃった。5歳の娘の下着に赤いしみが付いていて、体が凍り付いた朝の話じゃ。

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子どもが保育園の年中クラスのとき、朝、体に薬を塗ってやりながら、下着の股間に当たる部分にうっすら赤い楕円形のしみができていることに気がついた。

どきりとして、息が止まる。見覚えのある形だったからだ。5歳児の下着についたしみは、私自身が生理の始まりによく見るそれと同じ形をしていた。

不安げになった子どもの肩を、私は何でもないというように叩いた。

「大丈夫、大丈夫だから。お医者さんに行って、聞いてみようね」

わざと優しい声で「ちょっと見せてね~」と子どもを横にならせ、両足の間を確認する。陰部に外傷はない。

たぶん、これは、内側から出た血液だ。体をひゅるっと冷たいものが駆け上がり、反射的に口角を上げて微笑む顔を作る。

このうっすら赤い液体は、本当に血液なのだろうか。だとしたら、これは初潮なのか? 発育のいい子が小2で初潮を迎える時代だと聞いたことはあるけれど、5歳で生理が始まるなんてことはあるのだろうか? 友達のなかでもとりわけ細身で、歯も生え替わっていないこの子が? 

心臓の音が頭痛のように響く。

多めに取ったトイレットペーパーをくるくるまとめて、子どもの股間にあてがわせる。まるで生理用品を持っていないときに、外出先で生理になってしまったときのように。

その朝はたまたま夫が不在で、心細さと責任感が私をさらに焦らせた。朝食の支度をしながら思わずスマホに手を伸ばす。「子育ての不安は検索をすべきではない」――何度も何度も子育て系の記事に書いてきた禁を自らやぶる。うしろで、子どもはもういつものようにテレビを観て笑っている。「思春期早発症」と言う言葉にひっかかり、また検索。止めたいのに、指が止まらない。

「お母さん、そういうときは検索はしないことです」

私より少し年上の小児科医は、まくし立てるように状況を説明した私に、ゆっくりと、だがきっぱりと告げた。ええ、わかってたんです、でも不安で止まらなくて、という言葉を飲み込む。

子どもの出血は、シーソーや鉄棒に股間を強くぶつけたときに膣など内側に傷ができたことが原因だろう、5歳ごろによくあることです、と医師は言った。そう言えば昨日、保育園からの帰り道にどこかの家の駐車スペースにあるポールにまたがり、股の間を強打していたっけ。薄暗い霧がさーっと晴れた。

ああよかった、子どもはまだ子どもの体のままだった。

と、安堵してからはっとした。

初潮が来たのかもしれないと考えたとき、5歳児に生理中のケアが満足にできるのだろうか、保育園の水遊びはできなくなってしまうな、などとは一切思わなかった。真っ先に浮んだのは、子どもが万が一、性被害に遭ったら妊娠してしまうかもしれない、という恐怖だった。

初めて自覚する。いつか娘が第二次性徴を迎え、どこかの誰かにぶしつけで性的な視線を送られたり、軽々しく体を触られたり、性的なからかいを受けたりする日のことを、自分が心底、恐れているのだということを。

生理――生物体が生きているために起こるさまざまなからだの現象や、生きていくためのからだの機能。呼吸・消化・排泄・血液循環・体温調節・代謝などの働き。またはその仕組み。

月経――思春期以後の女性で、卵巣周期にともなうホルモンの変化により子宮粘膜が周期的に変化し、受精卵の着床がないと、平均28日ごとに内膜が剥離して出血すること。数日間持続する。月のもの。生理。経水。メンス。

性徴―― 動物の雌雄を判別する基準となる形態上の特徴。ふつう、生殖腺および生殖器官の差異を第一次性徴、それ以外の体の大小、鶏のとさか、ライオンのたてがみなどの差異を第二次性徴という。さらに、雌雄が示す行動や心理などの差異として第三次性徴を加える場合がある。性形質。 (ともに「デジタル大辞林」小学館)

ウェブ上の辞書を検索し、これらの言葉の横に、熱っぽい視線を送ってくる制服の少女が描かれたゲームアプリのバナー広告が出てきて絶望する。だから、私たちは辞書にあるような冷静な言葉で、性的な成長を語れないのだ。

小さなころから遭い続けてきた、何気ない性被害。小学生のとき、駅前の本屋で立ち読みをしていたら、お尻に手を伸ばしてきたおじさん。道ばたで出会う露出狂。中高の通学電車のなかでは、よくスカートごとお尻をまさぐられた。生まれ育った豊かで野蛮なこの都市で、私は同じ性の子どもを育てている。

あなたの体はあなただけの大事なもの。自分や他人の体は、許可なく触らせてはいけないし、触ってはいけない。嫌だと言われたら、一度でやめる。公衆トイレは一人では行っちゃだめ。怖いと思ったら逃げていい。大きな声を出す練習をしよう。知っている人でも、嫌なことは嫌だと言っていい。

そんなことを必死で教えて何になるのだろうかと無気力になるような事件が、日々報道されている。自治体からは、毎日のようにつきまといや公然わいせつ、誘拐予告を知らせるメールが届く。誰かのストレス解消が、多くの子どもを翻弄している。

大切な子どもには、私の知らない場所までぐんぐん歩いて行ってほしい。それなのに私たちの社会は、子どもを家の中に閉じ込めておきたい自分を呼び覚ます。一人で本屋に行かせる恐怖。一人で電車通学させる恐怖。そんなの普通じゃないだろう。

ほら外の世界へ行きなさいと子どもの背中を押したい自分と、いつまでも子どもをだっこしたままでいたい自分に、私はいつでも引き裂かれている。

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今回も、読んでくださってありがとうございました。

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